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宇宙物理学者、佐治晴夫博士の宇宙一受けたい講義!最終回

TEXT : 小島 伸吾

2018.04.28 Sat

つまり、そこに無限とは何かというからくりが出てきます。たとえばこうです。1割る3、これは0・33333どこまでいっても333…です。これを3倍しますと0・9999です。ところが1割る3を3倍すると1なんです。では、1=0・999なのか?ということなのです。これを美しく証明するのが数学なのです。

まずX=0・9999とおきましょう。これを10倍いたしましょう。するとこれは9.999になります。これを引き算しましょう。そうすると9X=9になります。したがってX=1です。これを美しい証明といいます。じつは、これで未来とは何か、過去とは何かを数学で語ることができるのです。

アウグスティヌスという人がいました。アウグスティヌスは「告白」という本を書いています。アウグスティヌスはここで未来はまだ来ていないからない。過去も過ぎ去っているのだからやはりない。では、過去でも未来でもない現在というものがあったとしよう。現在というものは過ぎ去ることがないものであるから、これをエテルナ(al ternam)であるといった。

つまり永遠です。この現在は過ぎ去らないという考え方で、カトリックの神学をつくりあげた。どういうことかというと、現在というのは過去の集積で現在がある。だけれども、過去はわれわれの頭の中にあるだけで実在しない。ないものの集積で現在がある。ということは過去を恨むということにまったく意味がないということになります。

たとえば、過去を恨んだとしたら現在はないのだから、これは論理を逸脱している。あなたが考える過去が何であろうと、これからあなたがどういうふうにして生きるかによって、すべての過去は書き換えられるわけです。確かに私は音楽の大学に入れなくて、大学で数学や物理学をやった。けれども、数学や物理学で宇宙の研究をすることになったがゆえに、ヴァチカンでパイプオルガンを弾くことができた。挙げ句の果てに、1977年9月5日にボイジャーにバッハを載せることができてしまった。音楽家にはこれはできないことです。つまりこれを一言でいうと、「これからがこれまでをきめる」ということです。そういうふうに考えるとちょっと気が楽になります。

教員をやっていると死にたいといってくる生徒がいるんですね。そういうときに、これにちょっと気がついてくれると、もうちょっと生きてみようかなとおもいなおしてくれます。われわれは生きている側から死ぬということを想像しているのですが、逆に死んだという側から生きている側を考えたらどういうふうにみえるかなという、これが逆遠近法なんです。この方法は日常的なことから哲学的なことまで非常に幅広くあてはめていくことができます。

 
11、チベット仏教と現代科学が向かう先

まど・みちおさんの「やぎさんゆうびん」というのがありますね。しろやぎさんがお手紙書いた。くろやぎさんが読まずに食べた。くろやぎさんが心配になって、さっきの手紙のご用事なあにと手紙を書くんです。それを受け取ったしろやぎさんも読まずに食べたんです。それで、しろやぎさんも心配になって、さっきの手紙のご用事なあにと手紙を書いたんです。要するに手紙の内容を知らないで、くろやぎさんとしろやぎさんの絆が結びついているんです。

そのことを発見してノーベル賞をとった人がいるでしょう。湯川秀樹さんです。だって、中間子って何ものかわからないのですよ。中間子のボールをやりとりして、原子核の構造がこうなっていることを発見してノーベル賞をとったんです。つまりものの本質というのは、わたしがわたしであるということでなく、わたし以外のものからわたしができているということ。つまり、周囲との関係性で存在しているということなんです。これが物理学の原理なんですね。

ダライラマさんとお話をしていてチベット仏教の考え方と現代宇宙論の考え方はとてもよく似ていると感じます。ただひとつ違うのは、宇宙のはじまりについての考え方だけなんです。そこでダライラマ法王はかなり深く考えておられて、それが原因であったかどうかわからないけれども、輪廻転生というのがぐらぐらしてきたんですよ。いままでは、輪廻転生で次の法王を探すということをやってきたんですが、次は探さないのではないでしょうか。

今年、京都でお話したときに最後にこういわれました。もし科学の視点からチベット仏教の考えをみたときに、おかしいなとおもうことがあったら遠慮なくいってください。そのときはわれわれの教義の定義を変えなくてはならない、と法王ははっきりとおっしゃいました。あれだけのことをいえる方はすごいなと感じました。

チベット仏教では、まず出来上がるということがありまして、次に存続ということがあって、存続の次に破壊されるということがある。そして、破壊されたものの後には空虚というものがある。この空虚から再び生成がはじまるという循環がチベット仏教なんです。その空虚のなかに芽生えたのが、あなたがいうフラクチュエーション(ゆらぎ)なのですね、と法王は理解されました。さきほどの水の変化量が水の実体を生み出しているということと同じですね。

NASAでは地球外知的生命体を探しています。これは単に子どもたちに宇宙人を見せて喜ばせたいだけではなくて、そこから人間とはいったいどんな存在なのかを考えるために探しているわけです。地球外に人間を比較する対象がないのですから、どうしてこんな小さい地球で喧嘩するのか、生き物とはほんとうにそういうものなのかわからない。同類のものと比較することによって地球の特殊性がわかるのですね。

それをテーマとしたのが「コンタクト」という映画です。そこで私はカール・セーガンとジョディ・フォスターにサジェスチョンさせていただいて、音楽で地球外知的生物と交信するということになったのです。現実的には、いま太陽に近い星が3000くらいみつかっております。そのまわりには惑星がありまして、それがだいたい300くらいみつかってるんですね。当然ある条件があれば、そこに生命がいる可能性があるわけです。

そこで私はケンブリッジでこういう講義をしました。それは、こういう人間をつくる条件は何か?を計算で出すという内容の講義です。簡単にいうと、太陽と地球との距離がだいたい1億五千万キロくらいという条件がひとつ。これはどういうことかというと、今のような気温を保持するということです。だいたい20度前後の平均気温です。もうひとつは、今くらいの人間であるためには、この重力の大きさが必要なんです。これは何で決まるかというと地球の大きさと直径で決まるのです。だから、大きさが直径13000キロmくらい、重さが6×10の24乗㎏の三つの条件がそろって、はじめて人間のこういうかたちがデザインされるわけです。もしこの条件が満たされないと、こういう空気が生まれないから、こういう肺の構造ができない。重力がもしもっと強くなったら、ごろごろ転がるような生き物でなければならない。そうやってこの条件の星を探してみると確かにあるのですよ。ということは、こういう形の生命がいないはずはない。

では、もしその生命がいたとしたらどうやって交信をしようかといったときに私が提案したのは、音で交信しようということです。そこで視覚と聴覚の問題になるのです。視覚の場合は赤い色から紫の色までしか見えません。これを音にたとえると単に1オクターブです。可聴域では、だいたい20ヘルツから20キロヘルツ、だいたい2万ヘルツくらいまでは聞こえるのです。これは9オクターブくらいが聞こえることになる。つまり音の方が範囲が広い、そこで音楽を使う。そこで音楽についていうとまたいろいろあるのですが、今日は楽器がありませんから省きます。

ドレミファソラシドというのは全部数学でできます。これをバッハの平均律にするとまたいろいろおもしろいのですが、じつはバッハの音楽を分析してみると、プレリュードのフーガはものすごくきれいにできている。それでプレリュードを録音したディスクをボイジャーに載せたわけです。

胎児のいるお腹の中は、つまり子宮は真っ暗ですから目は機能していない。そして鼻とか口とかの味をみる機能、すなわち食べ物が安全かどうかを確認する機能ですが、これもおへその緒からきますから必要ないです。あとは触覚ですが、これもお母さんのお乳を吸うためのお稽古をするためににぎにぎするだけですから、これもまだいらない。のこっているのは聴覚なのです。ですから、耳だけが長い時間をかけて丁寧につくられていったんですね。

だから耳というのは構造的によくできている。しかも耳はレーダーと同じ役割をしているんですね。あらゆる角度から入ってくる音は、1000分の1秒くらいしか差がないのです。この信号を各神経で感知して方向の認識をするわけですから、耳というのはすごいはたらきをしていますね。

そして、1977年9月5日にディスクを載せてボイジャーを打ち上げましたけれども、そこには時計を乗せる必要があるのです。ディスクと一緒に時計も載せる必要があります。というのはETさんがそれを見つけたときに、いつ頃これを出したのかを教えてあげなくてはならない。そのために私たちは何を塗ったかというと、ウラニウム238を塗りました。ウラニウム238というと、いまの原発問題で非常に怖がられているウランです。

なぜかというと、40億年たたないと半分に減らないからです。それを塗ったということは、40億年以内にETが発見することを願って塗ったということです。つまり、われわれは40億年後までのお手紙を書いたということになるんですよ。そのことを茂木健一郎くんは高く評価してくれましてね。

われわれの寿命というのは100年足らずですよ。われわれの研究というのはいままで知り得たことをいかに次に渡していくか、これがサイエンスなんですね。これから29万6千年後にシリウスの近くを通ります。だから29万6千年後にまた夜空のシリウスを見ながら、この番器講であそこにバッハがある!とみなさんといいたいですね(笑)。

 
12、いま、人間としてすべきこと

われわれ生きていて絶対に必要なのは、こうやってみたいとかいう希望だとおもうんですね。というのはですね。ある名古屋大学の学長をしておられて、たいへんお世話になった私の大先生がですね、末期のガンで最後まで痛みをこらえて学長室におられたのですね。大先生はお茶がお好きだったので、私は静岡の新茶をもってお見舞いにいったのですが、大先生が、せっかくお茶をもってきていただいたんだけどもう飲めないんだよ、とおっしゃるんです。でも少しでも飲んでください、と私はいって大先生に背を向けて手を洗っていたんですよ。そして、そこにあった鏡に映る先生を見ていたら、私が見ていないときにこっそりモルヒネを射っていました。私は知らないふりをしていました。

そういう大先生がこういわれました。みんな弟子たちが来て先生頑張って!というんですよ。頑張って、というんだけどね、君は頑張るってどういうことだとおもいますか?というんですよ。私は急にいわれてしまって困ったんですけれど、苦し紛れに出た言葉が、それは希望をもち続けることかもしれませんね、と瞬間的に答えたんですね。それであとからいろいろ考えたんですけど、やはり間違っていなかったなと。

その言葉を思い出させてくれたのが、ウィーンのヴェーリンガーシュトラーゼ123のフランツ・シューベルトのお墓にある墓碑なんですね。「ここにひとつの豊かな宝を埋葬しました。それだけでなくシューベルトのたくさんの美しい希望も葬りぬ」とあるのですね。シューベルトの死を悼む最大の弔辞は、希望を埋めたということなんですね。

私のウィーン大学時代は、映画館で映画を観てドイツ語を勉強する毎日だったのですが、いつも周囲のすごい人たちと自分を比べて落ち込んでいました。そのときにヴェーリンガー通りのシューベルトの墓碑の希望を思い出すわけです。

だから大学で教鞭をとるときにおもうのですね、すべてを教えてあげることはできないと。いえることは、世の中たいへんだよ、これから原発の問題もあるし戦争もあるしたいへんだけれど、それだけではなく、希望を語ることが大事だということ。人間がおこしたことは、人間がきっと克服できるよ。地球の歴史を考えても生命の危機にさらされたことたくさんあったでしょう。星が衝突してきたり、だけど命をもって生き続けたよね。原発はたしかにたいへんだよね。だけどみんなで知恵を集めれば必ず切り抜けられる方法はあるよね、といいたいんです。

つまり、教えるということは、希望を語ることだということを私は非常に感じたんです。教えるということは、それしかないんです。それで最後になりましたけれども、ユダヤのラビの口伝書の中の私の好きな文句です。「たとえ明日世界が滅びるとわかっていても私は今日林檎の苗を植えるだろう。」という言葉でしめくくりたいとおもいます。

どうもありがとうございました。(拍手)

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WRITER PROFILE

小島 伸吾

版画、タブローを中心に、個展、グループ展多数開催。
2002年、イシス編集学校に入門。2003年よりイシス編集学校におけるコーチにあたる師範代を務める。2010年、校長である松岡正剛直伝プログラムである世界読書奥義伝「離」を修める。2003年より岐阜県主催の織部賞に関わる。2006年、エディットクラブ実験店として「ヴァンキコーヒーロースター」開業。2013年、2014年「番器講」企画。2014年、ペーパーオペラ《月と珈琲の物語》製作、公演。2015年、名古屋市の「やっとかめ文化祭」《尾張柳生新陰流と場の思想》企画。2016年、名古屋市の面影座旗揚げ。第一講《円かなる旅人〜円空の来し方。行き方〜》企画。2017年、知多半島春の国際音楽祭参加、ロールムービー《幾千の月》製作、公演。など編集とアートをつなげる活動は多岐にわたる。