TEXT : さいとう みゆき
タイトル写真:昭和41年の商店街の日常風景(提供:円頓寺商店街)
名古屋駅からほど近い、円頓寺商店街・円頓寺本町商店街。休日にふらりと散歩して喫茶店でお茶をしたり、夜も明かりが灯る店でお酒を飲んだり、七夕まつりやパリ祭のにぎわいを楽しんだり。ビル街に囲まれているのに、この一帯だけはなんだか穏やかな空気が流れる、居心地の良い場所。私から見た円頓寺界隈は、そんな印象だった。
「江戸時代の清須越しから生まれたまち」「門前町として栄えた」「名古屋で最も古い商店街の一つ」「明治以降は市内でも有数の盛り場となった」「一時期はシャッター街だったが、地域内外の人たちの取り組みによって再生した」——
円頓寺のまちについてこうした説明を聞くこともあったが、断片的なキーワードしか知らない私には、まだ点と点が線につながらない感覚があった。「円頓寺商店街とは」と検索して出てくる言葉ではなく、地元の人たちの言葉を頼りにこのまちの過去へとさかのぼり、現在までを結んでみようと思う。
商店街のはじまり、江戸から明治へ
円頓寺の商店街というと、西から東まで同じ商店街が続いていると思われることも多いが、名古屋城寄りの東側は「円頓寺商店街」、名古屋駅寄りの西側は「円頓寺本町商店街」とそれぞれ別の名称が付けられている。

ブックマーケット「円頓寺 本のさんぽみち」開催時の円頓寺商店街

毎夏恒例の「円頓寺七夕まつり」開催時の円頓寺本町商店街
まず会いに行ったのは、円頓寺本町商店街の「飯田洋服店」店主・飯田幸恵さん。飯田洋服店は大正後期に創業し、1947(昭和22)年から現在の場所に店を構えているという。飯田さんは、地域団体「那古野下町衆」のメンバーであり、円頓寺界隈で発刊されていたフリーマガジン『ポゥ』の編集長としても活躍してきた。やっとかめ文化祭DOORSでも、円頓寺界隈を案内するまち歩きのガイドを務めている。

まち歩きツアーガイド中の飯田さん(やっとかめ文化祭DOORS公式noteより)
夕方の商店街で飯田さんと待ち合わせ、「円頓寺界隈の話を聞くならここ」という老舗店2軒へ連れて行っていただくことに。道中、歩きながら商店街の歴史を振り返っていく。
飯田さん:「名古屋城築城に伴い、堀川が開削され、清須越し商人が堀川沿いに移り住んだのがこの地域のにぎわいの始まりといわれています。物資の荷揚げなどをした人たちが休憩したり遊んだりしていったことから、まちができていったそうです」
江戸時代初期、徳川家康の命により、城下町を丸ごと清須から名古屋へ移した「清須越し」。藩士や町人だけでなく、寺社や町家の多くも名古屋城下に大引っ越しをした。名古屋の城下町は、熱田の浜から離れた内陸部にある。そのため、資材運搬に欠かせない水路として堀川がつくられた。以降、沿川に人が集まるようになったという。

円頓寺商店街近くの「五條橋」は、清須の五条川から移築された橋と伝えられ、ここから堀川を渡って商店街に入るのも趣深い。現在は鉄筋コンクリート造りに改築されているものの、欄干の柱に取り付けられた複製の擬宝珠(ぎぼし)などが、当時の意匠をまとう。橋から覗ける荷揚げ場跡や、土蔵が建ち並ぶ四間道の風景からは、いまも舟運の名残がうかがえる。
飯田さん:「この界隈にはいくつかの寺社も集まり、参拝者向けに商売をする店が増え、門前町としても栄えていきました。美濃路街道もそばを通っているし、人が行き交う要因がいろいろあったんですね」

商店街の名前の由来となったのが、1654(承応3)年に創建され、1725(享保10)年に現在地へ移転した「長久山 圓頓寺」。商店街は「えんどうじ」だが、寺号は「えんどんじ」と読む。江戸時代から子育てや安産の神様である鬼子母神像が信仰を集め、参拝客でにぎわったという。かの松尾芭蕉も名古屋見物の際に圓頓寺に滞在し、「ありとあるたとえにも似ず三日の月」という句を残している。
飯田さん:「明治時代に入り、鉄道ができてからは、さらに広域から人が集まるようになりました」
1886(明治19)年、現在の名古屋駅の約200m南に「名護屋駅」が開業(翌年に名古屋駅と改称)。これを皮切りに、名古屋電気鉄道の路面電車開通、瀬戸電気鉄道の開通などが、人の往来をもたらし、商店街の発展を促した。
令和のいまとなっては遠い日の出来事のような気もするが、円頓寺商店街には、明治の頃から店を構える老舗が現役で2軒残っている。
「きもの工藝ヲジマヤ」店主と、大正から昭和へ

飯田さんと一緒にたどり着いたのは、そのうちの1軒である「きもの工藝ヲジマヤ」。一宮で造り酒屋を営んでいた初代が濃尾地震での被災をきっかけに、1892(明治25)年、円頓寺商店街へ移り住んで呉服屋に転業したという。圓頓寺の目前に建つ店に入ると、5代目店主の伴野丘一さんが出迎えてくれた。
伴野さん:「円頓寺界隈の地図を作っているんですよ。よかったら一枚どうぞ」

そう言って渡された地図には「2025/5 最新版!」と書かれている。周辺にどんどん店が増えたり、時には惜しい店が閉店してしまったり、ということがあるので月2〜3回更新しているそうだ。
伴野さん:「地図上で『100』とマークが付いているのが、創業100年以上の店。商店街内だけではなくて、堀川周辺まで含めると、結構あるんです」
100年前、大正時代には市内有数の繁華街となり、円頓寺界隈は活況を呈した。1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発し、1945(昭和20)年には名古屋大空襲の被害を受けたが、その後復興を遂げた。
伴野さん:「再興後、名古屋で勢いのある繁華街といえば、円頓寺・大須・広小路と三本の指に入るほど、活力を取り戻しました。円頓寺界隈でも、特に表通りに面した場所に店を出せるのはステータスだったようです」
飯田さん:「近隣にある明道町の菓子問屋街も大盛況で、ブリキ缶を担いだカンカン部隊と呼ばれる駄菓子屋の店主らが多く行き交ったといいます。問屋街から商店街に流れてくる人たちの需要もあったんでしょうね」
1953(昭和31)年には第1回「円頓寺七夕まつり」も開催。円頓寺界隈の夏の風物詩として長く愛され、現在まで続く行事となる。

昭和39年の七夕まつりの様子(提供:化粧品のフジタ)
1957(昭和32)年には商店街にアーケード建設計画が浮上。計画は一度立ち消えになったものの、スーパーマーケットやデパートの台頭などの変化もあり、危機感が生まれたことから再び計画が進行。1964年(昭和39)年6月には円頓寺本町商店街、同年10月には円頓寺商店街のアーケードが完成した。

円頓寺本町商店街のアーケード完成式典の様子(提供:化粧品のフジタ)
伴野さん:「昭和39年は東京オリンピックのあった年で、高度経済成長期の真っ只中。それくらいの頃からは、私もハッキリと商店街の記憶があります。アーケード完成後の商店街は大混雑。圓頓寺の隣にパチンコ屋があったんですが、『パチンコ休憩中の従業員を呼んできて』っていうときには、向かい側まで人波をかき分けて行かなくちゃいけないくらい混み合っていました」
飯田さん:「映画館や寄席、娯楽施設もたくさんあって、盛り場としての要素も強かったみたいですね。終演に合わせて、商店も夜中まで開けていたと聞きました」

ヲジマヤ4代目の故・伴野亘邦さんによる記録冊子『円頓寺界隈のむかし 昭和もはじめ、祭りのあとさき』には、次のような記載がある。
“浪花節なら「開慶座」で、芝居小屋の笑福座を改造した、鉄筋造りの「豊富館」は、紅涙しぼる松竹直営封切映画の殿堂だ。寄席はといえば「新富座」。活動写真の「二葉館」に「芦辺館」。それぞれの小屋がはねて(終演になって)ぞろぞろ帰る客目当てに、円頓寺筋の商店は、十一時過ぎるまで店を明けているのであった。”
伴野さん:「開慶座の近くにあった寿司屋も地元ではよく知られた店でしたね。カウンター席だけの粋な店で、時々有名人も訪れていたようです。私の作った地図にも、『すし幸跡』として記してありますよ」
ほかにも、伴野さん作の地図には「今は亡き夢の名店」として「夢」マークがたくさん輝いている。アーケードを出てすぐの場所で2019年まで営業していた、名古屋最古の洋食店「勝利亭」。五條橋のたもとで、白い湯気を上らせていた銭湯「弁慶湯」。地図内からは外れるが、円頓寺本町商店街のすぐ裏にはコメダ珈琲店の1号店もあった。伴野さん・飯田さんそれぞれの思い出も、語り尽くせないほどある様子。「夢の名店」は、まちの人の記憶の中に生き続けているようだ。
「はきものの野田仙」店主と、昭和から平成へ

明治から円頓寺商店街とともに長い歴史を歩んできたもう1軒が、「はきものの野田仙」。ヲジマヤから100メートル足らずの場所にある、1893(明治26)年創業の老舗店だ。創業時は近隣で履きもの問屋を営んでいたが、現在地に移り小売業に転換したという。店内には種類豊富な下駄・雪駄・草履などがずらりと並ぶ。
5代目店主の高木麻里さんは、商店街にアーケードが設置された年である昭和39年生まれ。飯田さんとは幼馴染の仲で、グラフィックデザイナーの仕事もしていることからフリーマガジン『ポゥ』の構成・デザインも担当したそうだ。
高木さん:「下駄づくりは分業制で、うちでは花緒を挿げて仕上げる、手間暇のかかる最終工程を担っていました。父をはじめ、店には数人の職人さんがいて、その場で仕上げたものを販売するスタイルでした。戦後は、商品を置くとどんどん売れたと聞いています。日常的な履き物としてはもちろんのこと、正月になると新しい下駄をおろすとか、嫁入り道具の一つとして綺麗な草履や下駄をそろえるとか、多様な用途での需要があったのだと思います」
飯田さん:「この辺りは花街としても栄えていたので、芸妓さんの需要もありましたよね」
高木さん:「芸妓さんから名入れの要望を請けたり、正月の出の衣装に履く下駄を注文いただいたり、地域住民にとっても身近な存在として交流があったようです」
商店街から横道に入ると、芸妓の置き屋がいくつもあり、あちこちから三味線の音色が聞こえたという。

昭和20年代の商店街のネオンアーチ(提供:円頓寺商店街)
城下町、門前町、花街や盛り場…… 多様な要素でにぎわい、華やかな時代を築いてきた円頓寺の街にも、昭和後期には翳りが生まれる。1974(昭和49)年には路面電車が全廃。1976(昭和51)年には名古屋鉄道瀬戸線(旧・瀬戸電気鉄道)の東大手駅~堀川駅区間が廃止され、商店街付近から駅が消えていった。
高木さん:「一番近い駅が徒歩約15分の名古屋駅となって、地の利が失われたことで人の流れが減りました。平成に入ると、シャッターの閉まる店も増えて寂しくなりました」
こうした背景のもと、2007(平成19)年、飯田さん・高木さんもメンバーとして所属するまちづくり団体「那古野下町衆」が結成された。商店街店主に限らず、地域内外のコンサルタント、大学研究室、建築家、企業、クリエイターらが集い、イベントの企画運営や空き店舗対策などさまざまな活動を展開。2013(平成25)年に第1回開催を実現させた「円頓寺秋のパリ祭」は、いまや七夕まつりと並ぶ2大行事となっている。まちを愛する人たちの試行錯誤の積み重ねは、地道に実を結んでいく。

「円頓寺秋のパリ祭」でにぎわう商店街
商店街に新たな風が吹き始めた頃、高木さんも「履き物文化を残したい」という思いから2015(平成27)年に店を継ぎ、リニューアルオープンさせた。
高木さん:「円頓寺商店街のアーケードが今の形に改修されたのも、この年ですね」
平成元年の大規模改修以降、幾度の補修を行ってきたが、老朽化が深刻となり、高木さんが理事長を務めた平成27年の改修で新しいアーケードが完成した。本町でも平成のうちにアーケードの全面改修を実施。円頓寺商店街はモダンな木調のファサード、円頓寺本町商店街はレトロな文字が際立つファサードが特徴的だ。デザインや機能性を変化させながらも、それぞれの商店街で訪れる人々を迎え入れている。


最近の円頓寺商店街・円頓寺本町商店街といえば、下町情緒あふれる老舗に交じって先鋭的な店も並ぶユニークなエリア——
そんなイメージを持つ人も多いのでは。にぎわいを取り戻しつつも、まちの雰囲気を壊さずに新旧が調和した風景は、商店街の魅力を増幅させている。
「飯田洋服店」店主と、過去から現在へ

最後に、飯田洋服店にお邪魔することに。「商店街の古い写真を集めて、保管しているんです」と飯田さん。店の奥から、分厚いファイルやアルバムを引っ張り出してくれた。

飯田さん:「昔の七夕まつりの写真は何枚もありますよ。いまは円頓寺の七夕といえば、各店が作るハリボテ飾りが名物ですが、最初の頃は花飾りが主流だったそう。ハリボテを作り始めた頃は、岐阜の竹屋さんを呼んで、近くにあった体育館でしばらく寝泊まりしてもらいながら骨組みを準備してもらったと聞きました。そのうちに、自分たちで竹を組むところから作るようになったようですね」

飯田さん:「これは、七夕まつりのときに、江川線(円頓寺商店街と円頓寺本町商店街を隔てる市道)の辺りに設けられたステージの様子。デビューしたばかりの歌手が出演して、地元では『ここで歌うと、レコード大賞で新人賞をとれる』なんて噂もささやかれました。ちなみに、七夕まつりが始まる以前には、『夏まつり』として円頓寺商店街では店主が女装する花嫁行列を、円頓寺本町商店では町人などに仮装する催しを開いていたようです。当時の父の写真も、すごく気合が入っているんですよ」

飯田さん:「昭和30年代頃は、名古屋まつりに市内の各商店街が神輿をつくって参加して、広小路まで担いだそうです。カラフルな飾りで彩られた花バスも商店街を通って、各家でクラッカーを持って待ち構えていました。ちょうど良いタイミングで紐を引っ張ってクラッカーを鳴らすのに、子どもの頃は緊張したなぁ」
素人のど自慢大会や、本町のキャンプなど…… 幼い頃や青春時代を振り返りながらページをめくる飯田さん。伴野さん・高木さんがつないでくれた点と点が、飯田さんの回想も伴って肉付けされ、より濃い線として浮かび上がった気がする。たくさんの写真を見せてくれたが、すべてをここに載せてしまうのは少しもったいない気がするので、残りは思い出の中だけにとどめておきたい。
今秋のやっとかめ文化祭DOORS「旅するなごや学」のプログラムでも、飯田さんは商店街のはじまりから現在までの移り変わりを案内する。当時を知っている人も知らない人も、地元目線での物語を体感できるだろう。そして、時代の波を乗り越えてきた人たちや、まちを豊かにしたいと意気込み看板を掲げた人たちが営む、個性豊かな店々にも立ち寄ってほしい。私たちからもう一歩踏み込めば、いま目の前にある商店街の見え方も変わるかもしれない。
参考文献/
『円頓寺商店街のあゆみ 〜アーケード設立50年を迎えて〜』(発行:円頓寺商店街振興組合)
『円頓寺界隈のむかし 昭和もはじめ、祭りのあとさき』(発行:株式会社尾島屋)
『マチシルべ NAGOYA EKISHIRO TRIVIA MAP』(発行:円まちマップ製作チーム)




