PAGE TOP

facebook twitter instagram youtube
無知の知

TEXT : 近藤マリコ

2023.03.23 Thu

おべっかを使うというような技術をまったく持ち合わせていない職人が、本丸御殿を見たら、一体なんと言うのだろう。稀代の左官と呼ばれる挾土秀平氏を招いて名古屋城・本丸御殿をめぐる「まちなか寺子屋」が、その夜、繰り広げられた。ここにはその時のレポートを兼ねて、“職人が建築物を愛でる視点”について書き連ねていこうと思う。

 

過去の職人たちと対話するということ

寝癖なのか髪の毛はあらぬ方向をむき、山道を歩いてきたからか靴はうっすら砂をかぶり、目の前にあったから着てきたというていの、いつもの格好で、挾土秀平は夕暮れの名古屋城に現れた。一見すれば気難しそうな職業不詳の人。けれど、鋭い眼光が優れた建築物に向けられた瞬間に、オーラを放つ緊張感のある職人の姿へと変貌し、前述のスタイルがなぜかカッコよく見えてくる。そして遠くを見つめるようだった表情が、人間くさく思えてくるから、本当に不思議だ。
「今日オレは何すればいいんだっけ?」と言いながら名古屋城正門についた挾土氏の視点は早速、石垣に集中した。「きれいに積んであるなぁ、さすがやなぁ。これはいつごろの時代?修復はしていない?◎×□という石やな(注 独り言なので周囲には聴こえていない) ここなんて石同士のテンションだけで組まれとるのにきれいやもんなぁ、すごいなぁ」とぶつぶつ言って歩いている。こちらは、その日の段取りを説明しているのに、人の話はまったく聞いていない。挾土氏は、時空を超えて名古屋城建築に挑んだ過去の職人たちと、対話をしているのである。石垣や塀や壁を、手でやさしく撫でるようにさわり、愛おしむように無言でそこに佇む。それは嫉妬を覚えるほどの執着ぶりだった。

日本建築のキーワードは
『一壁、二障子、三柱』

やっとかめ文化祭のまちなか寺子屋で、挾土氏を講師に招くのは、これが3回目である。最初は愛知県庁大津橋分室と愛知県庁周辺の洋館の建物を、2回目は有松・竹田家を中心とした日本建築の街並みを、参加者の方々とともに歩き、挾土氏の視点で眺めた時の建築の面白さと、そこから読み解くことのできる“名古屋自慢”を分析してもらったのだ。その時もやはり同様に手で撫でてはうっとりした表情で、過去の職人たちと会話を楽しんでいた。
打ち合わせで名古屋市役所を訪れた時の挾土氏のはしゃぎっぷりは記憶にはっきりと残っている。その時も壁を撫で、床に座り込んで触り、ひとつひとつの仕事を確かめるかのようにゆっくりと見て回った。そしてこう言った。「全国的に洋館建築ラッシュの時代だったとはいえ、これだけの規模と質の高さは他の都市でも見たことがない。名古屋はそれだけ豊かやったんや。でもな、せっかくのお宝の建築だけど残念なこともある。左官がきれいな壁を塗ったのにもかかわらず、後世の人が上からペンキを塗ってしまったところ。ペンキを塗ったらもう元の壁には戻れない。ペンキを塗って修復すれば安く済むけどなぁ、値段だけで建築や修復を決めてはいかんということやな。そのためには、この名古屋市役所の建築物としての価値を役所も市民も知るべきや」それが実際には難しい課題であることを十分に知りつつ、つぶやくように付け加えた。きょとんとしているわたしたちに、挾土氏は日本建築の見方をせめて覚えて欲しい、と言って『一壁、二障子、三柱』という言葉を教えてくれた。昔の人は、新築の家を拝見する時には、まず壁に感心し、障子・建具・飾り金物を褒め、最後に柱を称えた。美しく立派な壁が塗られていることが優れた建築物の第一条件だったのだと。左官職人の技術を尊ばれたのはそんな理由からなのだそうだ。

今も昔も、人は完璧ではない

本丸御殿の玄関の障壁画「竹林豹虎図」の角度を変えながらじっくりと見て、挾土氏はあることを発見する。背景に貼られた金箔の正方形が、きれいに整列していない箇所があるのだ。「ここだけ、ちょっと歪んでるやろ?箔を貼った職人が歪ませたのではなく、元の障壁画が歪んでいたから、その歪みまで完璧に復元してるってことや!」と指摘。確かにまっすぐであるはずのラインがほんのすこしジグザグしている。そして挾土氏は続ける。「昔の職人は完璧だったというのは妄想で、やっぱり昔の人も不完全ってこと。現代の人は、完璧を求めすぎるがゆえに、ちょっと曲がっているだけでやり直せとかクレーム対象だとか言い出すが、手仕事というのは、そんな小さな揺らぎがあるからいいもんなんだよ。もしかしたらその揺らいでいるところは師匠ではなく弟子にやらせたのかもしれん。それだけゆとりがあった時代だったかもしれん。そしてその揺らぎまで復元したということが逆に素晴らしい!」と面白がる。過去の職人の技に敬いの眼差しを向けて見ているからこそ、導き出された答えなのである。挾土氏のその視点が、過去と現代の職人の技術をつなぎ、未来へと橋渡ししてくれるのではないかと願う。
そして忘れてはいけないのは、無知であるということの残酷さだ。前述のペンキを塗られた壁のように、無知こそが新たな罪を作る。残念ながら、挾土氏のような視点を持った職人は、やがてこの世から消えて無くなってしまうだろうし、膨大な予算をかけて作る日本建築は、公共施設でしか実現できなくなるだろう。それでもなお、無知であってはいけないと、もがきながら生きていきたいと思う。

WRITER PROFILE

近藤 マリコ

やっとかめ文化祭ディレクター、コピーライター、プランナー、コラムニスト。
得意分野は、日本の伝統工芸・着物・歌舞伎や日舞などの伝統芸能、工芸・建築・食など職人の世界観、現代アートや芸術全般、食事やワインなど食文化、スローライフなど生活文化やライフスタイル全般、フランスを中心としたヨーロッパの生活文化、日仏文化比較、西ヨーロッパ紀行など。飲食店プロデュース、食に関する商品やイベントのプロデュース、和洋の文化をコラボさせる企画なども手掛ける。