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三島の面影が 時空を越えて問いかけるもの
~やっとかめ文化祭 ナゴヤ面影座第七講~

TEXT : 神野 裕美

2022.05.11 Wed

名古屋における文化サロンとして、文化人や芸術家とともに知性や感性を刺激する場を創造してきたナゴヤ面影座。今回の第七講は、面影座の人々が演劇に挑むことで、新たな文化発信の一つの形を見せる回となった。演目は三島由紀夫の戯曲集『近代能楽集』から、『卒塔婆小町』と『葵上』。面影座の作座人であり舞台監督を務めた小島伸吾氏と、アートディレクターでありキャストとして重要な役どころを演じた山内笊十郎氏を案内人に、挑戦的な実験劇はその幕を開けた。

 

世界で上演される三島の能

『近代能楽集』は、三島が若い頃から親しんできた能を “近代能”として翻案した戯曲集だ。『卒塔婆小町』や『葵上』など全8曲からなり、三島演劇の代表作として国内外で高く評価され、多くの舞台で上演されている。

その理由を、図らずも三島自身が『近代能楽集』の後書きに記している。「能楽の自由な空間と時間の処理や、露な形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シチュエーションのほうを現代化したのである」と。能のテーマはギリシャ古典劇にも通じる永遠性を持ち、時代や国境を越える力がある。そのため各時代のアーティストによって、何度も創作される所以となってきたのだろう。

 

対構造が突きつける普遍のテーマ

それでは2021年の面影座は、なぜ三島の『卒塔婆小町』と『葵上』を取り上げたのか。その理由について「フラット化する世の中に、対構造の世界を見せたかった」と小島氏。三島演劇の中でもこの両作は、若さと老い、美と醜、生と死など、さまざまな対構造が織り込まれた物語。誰もが避けては通れない普遍のテーマが通底する。山内氏も「二作品はともに年上の女性と自分の生き方を意志の力で否定する男性が登場し、一対になっている。そこには三島の面影も感じる」と語る。

また、小島氏は約600年にわたって演じられてきたこれらの物語について、「物語というより何かを解釈するための装置ではないか。各時代の人が装置として使い、その解釈に正解があるわけではない」とし、今回の演劇も『近代能楽集』を文化装置として使った面影座流の実験劇と言う。二つの物語のつなぎ、役の早替り、プロセスを見せる衣装替えなど、面影座ならではの解釈による演出は、「人間の多面性が凝縮されている」と山内氏が語った二つの物語を象徴しているようにも思う。

 

時空を超越する世界へ旅を

一方、三島が「自由な空間と時間の処理」と語った能の構造は、2021年のやっとかめ文化祭のテーマ「時間と空間がつながるまちへ」に通じる。特にこの二作品は、昭和と明治の間を行き来したり、病室から湖に浮かぶヨットへ空間を移動したりと時間と空間を自在に飛び越え、すべてを超越した異世界へ案内してくれる。多様な文化や芸能をつなぐ面影座の舞台は、芸どころの時空をつなげる役割を担う装置とも言え、私たちはその装置に乗り込みさえすれば、過去も未来も、彼岸も此岸も自由に旅することができるのだ。

ほの暗い背景に浮かぶ影絵、トイピアノの即興演奏による劇伴などがキャスト陣の熱演と相まって、観るものに妖しく不思議な余韻を残す面影実験劇。ぜひ装置に乗って、三島の世界を旅していただきたい。

 

【STORY】

<卒塔婆小町>

原作は、観阿弥の謡曲。乞食の老婆が現れ、僧と問答する中で、自分は才色兼備とたたえられた小野小町のなれの果てと、明かす。すると突然、小町に恋焦がれ百夜通いを誓った深草少将の怨霊に憑依され、狂乱状態となって少将の悲劇を再現する。三島の「卒塔婆小町」は昭和27年(1952)の初演。原作をもとにしつつ舞台を現代に置き換えて、99歳の醜い老婆と詩人が登場する。老婆は自分のことを小町といい、「私を美しいと云った男はみんな死んでしまった」と語る。詩人はその話をにわかには信じられないが…。平安時代の伝説が、昭和、そして明治へ。時間も空間も超越した愛の物語が展開される。

 

<葵上>

源氏物語第九帖「葵の巻」を題材にした原作は、世阿弥の謡曲。光源氏の愛人・六条御息所の生霊が源氏の正妻・葵上に嫉妬し、魂を抜き取ろうとする。しかし修験者・横川の小聖が病床に臥せった葵上を救うため、鬼女に変貌した御息所と激しい戦いを繰り広げる。三島の「葵上」は昭和30年(1955)の初演。原作と違って小聖は登場せず、妻・葵の見舞いのため夫・若林光が病室に駆けつける。そこにかつての恋人・六条康子が現れて光に復縁を迫り、スリリングなやり取りを続ける。葵を苦しめる康子の生霊を拒絶する光だが…。

 

【CAST COMMENT】

『卒塔婆小町』老婆・詩人(二役)/『葵上』六条康子

うぶりえ 氏

花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな  藤原定家

過ぎ去りし愛しいものたちの面影。すれ違いざま、立ち去った後、その香りはふと私の心をざわつかせます。それは『卒塔婆小町』の夜の花壇。それは『葵上』の病室を飾る苦痛の花束。そして庭に広がるセリの花の香り。そんな香りを感じて頂けたなら幸いです。

 

『卒塔婆小町』老婆・詩人(二役)/『葵上』若林光

山内 笊十郎 氏

「かの女は森の花ざかりに死んでいつた。かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた」。ギイ・シャルル・クロスの詩の一節です。演じながら演出しながら抱いていたイメージはこれでした。魂のカタルシスを裏打ちしているのは真っ逆さまの墜落。ふりむけば撮影当日、あの夏の日の面影はディオニソスの祭だったのですね。

 

やっとかめ文化祭YouTubeチャンネル

ナゴヤ面影座第七講

『面影実験劇 卒塔婆小町・葵上』

https://www.youtube.com/watch?v=EzguIRmHw4g

 

WRITER PROFILE

神野 裕美

1998年よりフリーのコピーライターとして活動。2010年、クリエイティブディレクターとともに株式会社SOZOS(ソーゾーヅ)設立。新聞、ポスター、パンフレット、Webといった各種コミュニケーションツールの企画立案・制作、ロゴ制作、ネーミングなどを手掛けている。最近はまちづくり支援の仕事も多く、なごやのまちを盛り上げるべく、多角的な視点からなごやの魅力を再発掘中。インフォグラフィックでなごやめしの紹介も。
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