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「はみだす緑」はまちのスパイス。円頓寺商店街周辺の路上園芸鑑賞。

TEXT : 村田 あやこ

2023.02.08 Wed

商店街や住宅地で、玄関先や室外機の上などを見てみると、どんなまちでも必ず一つや二つ、鉢植えが置いてある。

少し視線を落として道の端っこや舗装の隙間にじいっと注目してみると、どこかしらで植物がちょろりと顔を出している。

路上空間で住人によって思い思いに営まれる園芸や、路上の片隅で生きる植物たち。街の緑の動態を「路上園芸」と呼んで勝手に愛で見守ることをライフワークにしている。

路上園芸の魅力はなんといっても「はみだしっぷり」だ。

計画された植栽に紛れ込む、誰かが植えたらしき植物。敷地外に勢力を広げる鉢植え群。鉢からあたり一面へ逃げ出す植物たち……。

まちの園芸家たちの園芸愛や植物の生命力は、敷地や鉢といった人がくくった枠をするっと乗り越え、じわじわと広がっていく。

路上園芸は、街の一角に白黒つかないグレーゾーンをひっそりと生み出す。そんなグレーゾーンに心地よいゆるさを感じ、無性に心惹かれてしまうのだ。

 

老舗店が点在する円頓寺商店街

 

前置きはそこそこに、この記事では円頓寺商店街周辺エリアを路上園芸目線で歩いた様子をご紹介したい。

神奈川在住の筆者が初めてこのエリアを訪れたのは、実は2022年。

「『えんどんじ』じゃなくて『えんどうじ』と読むらしい。ふむふむ。」

お恥ずかしながら、最初はそれくらいの浅い知識しかなかった。商店街のホームページによれば、江戸時代にまで遡る長い歴史があるとのこと。歴史が長いということは、長くお住まいの方もたくさんいらっしゃり、それだけ長く根を張っている植物も多いことだろう。路上園芸への期待も高まる。

出発は国際センター駅。名古屋国際センターという施設と直結する駅だ。

地上へ出てあたりをぐるりと見渡すと、目に入ってくるのは広い道路やビル。すぐそばに老舗の商店街があるとはにわかに信じがたいぐらい、近代都市的な雰囲気である。

 

ヒメツルソバに飲み込まれるヤブラン氏

 

広い道路沿いには、植栽帯が整備されている。しかし植え込みの足元に、ヒメツルソバというピンク色の植物が雲海のように広がっており、オフィシャルに植えられたとおぼしきヤブランをじわじわと飲み込んでいっている。

蟻地獄ならぬ植物地獄。「ギェ〜〜」と叫びながら、モゾモゾとヒメツルソバに飲み込まれるヤブラン氏の叫び声が聞こえてくるかのようである。

……とこんなふうに、路上園芸鑑賞は妄想を織り交ぜて自由に楽しむのがおすすめである。

 

窓辺を彩る色とりどりの植物

 

大通りを右折すると雰囲気は一変し、戸建の建物が軒を連ねている。

お店の裏手だろうか、窓の柵いっぱいにハンギングされた鉢植え。色とりどりの花が窓辺を彩る。

 

入口の両脇に、花道のように華を添える鉢植え

 

別の家の玄関先では、引き戸の入口の両脇に、まるで風神雷神のようにカネノナルキが鎮座。プリッとした葉っぱが特徴的な多肉植物で、まちの園芸ではお馴染みのメンバーだ。そのすぐそばでは、建物の壁沿いにおそろいの紺色の鉢が5つ並び、ナンテンやアジサイといった植物が植えられている。どの植物もみずみずしい状態になるよう、手がかけられている様子。

道沿いの家の軒先に置かれた鉢植えに人の気配や暮らしを感じると、初めてのまちでもどこかホッとしてしまう。

 

ヒメツルソバがじわじわと打ち寄せる

 

一方、道を挟んで向かい側では、空き地のひび割れたところや玄関前の隙間から、セイタカアワダチソウやヒメツルソバといった植物たちが噴き出し、波のように打ち寄せている。

道を挟んだ対岸で、秩序と無秩序がせめぎ合う。鉢におさまり可愛らしく並ぶ鉢植えから育て主の園芸愛を垣間見るのも楽しいが、植物のはみだしっぷりにも都市化で抑え込まれていた野生が再び姿を出したような勢いを感じ、つい無責任に応援したくなってしまう。

ちなみに先程からまちの一角をじわじわ飲み込んでいるヒメツルソバは、中国南部〜ヒマラヤ原産の植物。コンペイトウのようなピンクのかわいらしい花が特徴的だ。もとは明治時代に観賞用として日本に導入されたものが野生化し、各地の路上に広がってしまったらしい。

ヒメツルソバだけでなく、路上の隙間から顔を出し「雑草」と呼ばれるような植物の多くは、外国からやってきたもの。植物は、国境という枠すら超えていくのだ。

 

風情ある町並みに映える鉢。横には縁起物の狸の置物が2体。

 

しばらく足を進めていくと、白壁に木枠の引き戸といった風情ある古民家が増えてくる。このへんは町並み保存地区でもあるらしい。

 

チクチクしたシートに割り箸。大切な植物を守ろうという思いあふれる。

 

道沿いの鉢植えに目を留めてみると、土の上一面が猫よけのチクチクしたシートで覆われていたり、同じく猫よけなのか支柱なのか、割り箸が添えられていたりと、手塩にかけて大事に育てられている様子が伺える。

 

室外機をめいっぱいにぎやかに囲む鉢植えたち

 

そしてこのあたりから、一気に植物の密度が濃くなる。

玄関先から外壁沿いにずらーっと並ぶ鉢植えが、路上の一角に小さな森を生み出している見事なおうちも。

室外機のお立ち台の上でゆうゆうと葉を広げる植物の下で、晴れ舞台を今か今かと待つ鉢植えたち。一方、鉢から路上にこぼれ出してしまったものも。狭い鉢の中ではなく、隙間の大海で生きていくことを選んだらしい。

 

ハツユキカズラに徐々に飲み込まれるユッカ

 

すぐそばの建物の一角では、三角地帯になった部分に大小様々な鉢が並べられており、その中心では謎めいた物体がひときわ存在感を放っていた。

もじゃもじゃしたカタマリの先端から顔を出す、刺々しい葉っぱ……どうやらユッカが、ハツユキカズラというつる植物を毛皮のようにまとっているらしい。というか、まとわりつかれたという方が正しいだろうか。足元から絡みつかれ、あと少しで飲み込まれそうな勢いだ。

生まれ故郷から都会へ出てきて、狭いながらも楽しい我が家と、都会の一角のアパートで青春を謳歌していたユカ男(ユッカ)。あるとき、隣の部屋に可愛らしい女・ユキ(ハツユキカズラ)が引っ越してきた。可憐な見た目ながら魔性の女・ユキ。挨拶もそこそこに、「ねえねえ」と、ユカ男の家に上がろうとしてくるではないか。

髪の毛をツンツンと逆立てたいかつい見た目ながら、実は内面は純朴なユカ男。一見おとなしそうに見えて積極的なユキに心を許してしまったが最後、ユキに部屋と財産ごと乗っ取られてしまった。

……復讐モノの韓国ドラマ好きな筆者。唐突ではあるが、ついついサイコホラーな妄想を脳内で繰り広げてしまった。

ちなみに筆者がもし植物になるとしたら、ハツユキカズラのように他の植物にまとわりつき、効率よく光合成して一生を終えたい。

 

思わず吸い寄せられてしまう円頓寺銀座街

 

しばらく歩いてゆくと「円頓寺銀座街」というアーチを発見。料理店や酒場が軒を連ね、思わず吸い寄せられてしまいそうなシブく味わいある輝きを放つ一角である。

多肉植物のオボロヅキが鉢から飛び出し星屑のように散らばっていたり、ニチニチソウが鉢から道向こうの隙間に旅立っていたりと、銀座街のあちこちで、植物が自由にはみ出していた。

 

室外機の下に星屑のように散らばるオボロヅキ

 

向こう岸に分家したニチニチソウ

 

銀座街の小道を抜けてゆくと現れるのが、円頓寺商店街である。

国際センター駅から商店街までは、まっすぐ歩けば10分程度の距離ながら、その道程は園芸愛や植物の生命力があちこちではみだす、路上園芸の宝庫。ぜひ路上園芸鑑賞をしながら訪れたい商店街だった。

 

ナンテンの鉢として第二の人生を歩むタイヤ

 

建物、電線、道路、ガードレール、マンホール……。まちは、隅々まで、計画的・意図的に設置されたもので溢れている。

しかしまちでは常に人が暮らしや商いを営み、生きては亡くなる。風が吹き、雨が降り、どこからともなく植物の種が旅立ってきては芽吹く。時間の流れを経て変化や動きを重ねる中で、人と自然とが織り混ざって、当初は誰も意図していなかった計画外のものが、日々生まれては消えていく。

ポスターが剥がれ掲示板の上で画鋲が作り出す星座のような形、年月を経て塗装の剥げ具合が独特の風合いを出す壁面。そして街角の植物。

 

意図しないものの存在は、まちの中に潜む余白を炙り出す。

そんな余白やグレーゾーンは、不思議な居心地良さを生み出すのだ。

WRITER PROFILE

村田 あやこ

路上園芸鑑賞家/ライター。街の植物や園芸の魅力を書籍やウェブ等で発信。お散歩ユニット「SABOTENS」としても活動し、組み合わせると路上園芸の風景が作れる「家ンゲイはんこ」を制作。著書に『たのしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)。寄稿書籍に『街角図鑑』『街角図鑑 街と境界編』(実業之日本社)。散歩の達人等で連載中。「ボタニカルを愛でたい」(フジテレビ)出演中。