PAGE TOP

facebook twitter instagram youtube
芸妓とは何者か?

TEXT : 近藤マリコ

2021.01.20 Wed

やっとかめ文化祭では、名妓連組合の芸妓とのお座敷遊びを体験する「お座敷ライブ」が定番の人気コンテンツである。それ以外にも、まちなか芸披露での舞踊やしゃちほこ芸、2020年のまちなか寺子屋では「芸妓は絶滅危惧種か?」というタイトルで大阪・名古屋・岐阜の名妓によるトークショーが開催された。芸妓と遊ぶってどんなこと?話してみたい!芸妓ってどんな人?という人々の興味をストレートに叶えたからか、これらの企画は常に満席の売切御免となっている。さて、ここでは改めて芸妓とは何者か?というテーマに迫ってみたいと思う。


2020年まちなか寺子屋「芸妓は絶滅危惧種か?」にて。左から、大阪北新地の元芸妓であり日本舞踊家の西川梅十三さん、この日のナビゲーターを務めてくださった日本舞踊西川流4世家元であり、やっとかめ文化祭ディレクターの西川千雅さん、名妓連組合の前組合長・金丸さん、右が岐阜芸妓組合の組合長・可奈子さん

 

芸妓は恋の対象か?

筆者は物心ついた頃から、芸妓が遊び相手をしてくれたという経験を持つ。祖父が昭和最後の遊び人であり、いわゆる旦那衆であったこと、芸事が好きだったことなどから、料亭でのお座敷遊びは日常茶飯事であった。お座敷では祖父は小唄を歌うのが常だったし、日本舞踊師匠の後援会を主宰していたこともあって自宅にはいつも芸妓が出入りし、お正月のお年始には芸妓が代わる代わる挨拶に来たものだった。祖父の葬式には芸妓衆が黒紋付姿で勢ぞろいし、葬儀場から道路まであふれんばかりだったことは今も語り草になっている。
すでに時効だと思うので明かすと、祖父にはその時々で恋のお相手が何人もいて、祖母を随分泣かせていた。が、決して芸妓を恋愛対象にはしなかったらしい。私も大人になって社会勉強を積んだからこそ、祖父が芸妓をビジネスパートナーとして捉え、恋の相手に選ばなかった理由が、最近やっと分かるようになってきた。


料亭香楽でのお座敷ライブにて、名妓連のかつ子さん

 

芸妓の源は巫女である

2020年まちなか寺子屋の最終プログラム「芸妓は絶滅危惧種か?」の進行台本を制作する過程で、岩下尚史さんの著作「芸者論」(文藝春秋)を参考に芸妓のルーツについて調べてみた。
芸妓の源を辿ると巫女にいきつくという。巫女とは、すべての女性が生まれながらにして備えていた信仰上の資格であり、家族に幸福をもたらす仕事は女性の役目、女性は自分の家や地域、集団に仕える巫女であった。外地からやってきた賓客は神様の使いであるとされ、その神様(お客様)を皆でもてなすことは地域にとって当たり前の饗応だったのだ。巫女である女性は、神様(お客様)にご馳走を差し上げ、歌や舞を披露して楽しませた。そして神様(お客様)は、次の年の豊かな収穫を約束して帰っていく。地域が豊かに恵まれるための神様との契約に、女性である巫女が大きな役目を果たしたのである。


料亭か茂免での英語でお座敷ライブにて、左から名妓連の金丸さん、京さん、すずめさん

 


料亭 志ら玉でのお座敷ライブにて、名妓連組合の真ことさん。

 


料亭 志ら玉でのお座敷ライブにて、名妓連組合の桃太郎さん。

 

 

 

芸妓は接待のプロフェッショナル

芸妓とは、何をする仕事かというと、端的に言えば、接待の介助役とでも表現すればいいだろうか。食事など饗応のお席で、ホストを助け、ゲストが心地よく楽しく快適にその時を過ごせるように、あれやこれやと手を尽くし、気配りするのが仕事である。お酒のお酌はもちろん、会話が途切れることないようにさりげなくお客様同士の話をつなぎ、興が乗ったお客様とはお座敷遊びと言われるゲームをやって喜ばせる。また、普段から鍛錬している芸を披露することで、お客様を楽しませ、接待や会食の時間をより特別なものに仕立てる。そのために、舞踊、三味線、鳴り物、長唄、小唄や端唄などのお座敷唄、邦楽全般にお稽古を重ねる。芸妓の“芸”とは、芸事だけではなく、接待術や会話術、おもてなし、立ち居振る舞いすべてがその言葉に含まれているのだと思う。
その昔、たとえば筆者の祖父の時代には、接待でお客様と旅行にでる時などに芸妓を引き連れて、宿泊先に着くまでの道中に細かな気配りのフォローを接待のプロである芸妓に依頼することがあったようだ。さらに商談がうまくいくようにさりげなく盛り上げる。芸妓はビジネスの大事なパートナーであり、時間契約制の饗応役として、ビジネスマンにとってなくてはならない存在だったのではないだろうか。そう考えると、先述の巫女説には深くうなずけるのだ。
明治維新の指導者たちは、昼夜の別なく、新橋の茶屋で会合を重ねたという。そこに同席したのは新橋の芸妓たち。木戸孝允は京都三本木の芸妓・幾松を妻にした。陸奥宗光、西園寺公望、山県有朋、板垣退助らの側室もやはり新橋の芸妓だった。国を動かす男が選んだ女性は、美しいだけでなく、才気や教養を持っていたのだ。彼らは美しい女性だから恋をしたというよりは、信頼できるビジネスパートナーとともに政治の大役を務めていこうと決心したのだと思う。そして機密情報は決して漏れることがないという確固たる信頼が、芸妓に対してあったのだろう。先述の「芸妓は絶滅危惧種か?」トークショーで「芸妓の仕事で大切なこととは?」と質問されて、芸妓たちが一様に「お客様のことはもちろん、お座敷での会話の内容を決して口外しないこと」と答えていた。お客様情報をペラペラしゃべる飲食店が多い中(苦笑)、秘密厳守の観点からもまさに接待のプロだなと、聞いていた筆者は思わず膝を打ちたくなった(笑)。

 

芸妓のおもてなしスピリット

名妓連組合の前組合長をされていた金丸さんにご出演いただいた「芸妓は絶滅危惧種か?」の寺子屋で、楽屋入りした金丸さんに挨拶をすませると、金丸さんは筆者にお手土産をくださった。「やっとかめ文化祭は今日で最後、今年はコロナで大変だったわねぇ。よくぞやってくださった。お疲れ様でした」と言葉をかけて。そしてその箱の上には「金丸 かつ子より」とメッセージが書かれていた。かつ子さんとは、同じく名妓連のベテラン芸妓。やっとかめ文化祭の常連出演者で、その前週には料亭香楽のお座敷ライブにご出演いただいている。お菓子をいただいたから言う訳ではないが、こういう気配りは、現代のドライなビジネス社会からはなくなりつつあるもの。しかもその日がやっとかめ文化祭の最終日であることをひと言添えてくれたことは、コロナ渦の感染予防対策に追われていた筆者にとって実は涙が出るほど嬉しい言葉だった。
そして、2020年のやっとかめ文化祭を無事に終了してから約10日後のこと。筆者の携帯電話に留守電が入っていた。金丸さんからだった。「先般はやっとかめ文化祭、お疲れ様でございました。今年もお世話になりましてありがとうございました。あなた様におかれましては、長い日数でコロナもあって、さぞお疲れのことと思います。ちょっと落ち着かれた頃合いかと思いましてお電話いたしました。どうぞお体お大事に、またどうぞよろしくお願いいたします」やっとかめ文化祭が終わった直後は放心状態だったことをなぜご存知なのか、このタイミングの良さと心配りの妙技に、金丸さんの芸妓魂というべきか、おもてなしスピリットに感嘆せざるを得なかった。芸妓は絶滅させてはならない、芸妓は日本が誇るおもてなしブランディングであると改めて感じた留守電メッセージだった。

WRITER PROFILE

近藤 マリコ

やっとかめ文化祭ディレクター、コピーライター、プランナー、コラムニスト。
得意分野は、日本の伝統工芸・着物・歌舞伎や日舞などの伝統芸能、工芸・建築・食など職人の世界観、現代アートや芸術全般、食事やワインなど食文化、スローライフなど生活文化やライフスタイル全般、フランスを中心としたヨーロッパの生活文化、日仏文化比較、西ヨーロッパ紀行など。飲食店プロデュース、食に関する商品やイベントのプロデュース、和洋の文化をコラボさせる企画なども手掛ける。