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江戸の昔から、金鯱の天守の空には凧が似合う。名古屋の和凧を未来へつなげ。

TEXT : 神野 裕美

2017.10.01 Sun

ときは1712(正徳2)年。名古屋城天守閣に突如舞い降りたのは大怪盗、柿木金助。金のシャチホコの鱗をすばやく奪い取ると、大凧に乗ってみるみる空の彼方に消えていった。天下を騒がせた金シャチ盗難事件は、歌舞伎狂言作者・初代並木五瓶の「傾城黄金鯱(けいせいこがねのしゃちほこ)」に描かれ、1783(天明3)年に大坂で上演される。この物語は庶民の人気を博し、今日まで歌舞伎や芝居の恰好の材料となってきた。一方で、城の宝を盗まれた名古屋城下では、大凧揚げが禁止され、300年を過ぎた今でも大凧はつくられていない…。

そんな伝説が愛知県のホームページに記載されるほど、名古屋は和凧づくりが盛んな地域だった。実は現在も一大生産地であることを、地元でも知らない人が多いのではないだろうか。名古屋市西区。かつて信長、秀吉、家康が戦いに勝って凱旋したという美濃路沿いには、そんな和凧づくりの伝統を守り続ける老舗がある。

 

■江戸末期創業、名古屋城下の和凧の老舗
江戸末期の創業の凧茂本店。名古屋城下で代々凧づくりを家業としてきた。「そもそも日本に中国から凧が伝わったのは、奈良もしくは平安の頃。当初は戦いの際、狼煙がわりに自分の居場所を味方に知らせるために用いたとされています」と教えてくれたのは、5代目の山田民雄さん。やがて、凧は貴族や武士の遊び道具となり、江戸時代には庶民の間でも凧揚げが大流行した。その様子は葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵にも描かれている。
初代がなぜ凧づくりを始めたのかは定かではないが、と山田さんは前置きしつつ「城下町ですので、お殿様や武家の需要に応えるためだったのかもしれません。障子なのか傘なのか、張りの仕事をしていたのでしょう。名古屋扇子の店も近く、界隈に職人が集まっていたのだと思います」

■地域と結びついた凧づくり
歌舞伎絵や武者絵の角凧、奴凧や字凧など、凧の形や絵柄はさまざまだ。「源義経や上杉謙信、虎退治の加藤清正など庶民憧れの武者が伝統的な絵柄です。全国各地に特徴のある凧が伝えられていますが、名古屋凧と言えば、扇凧や福助凧、虻凧。ほかに蝶凧や蜂凧、天神凧、とび凧もあります。揚げたときにブンブンとうなる虻凧は、つくるのに手間がかかり、今や本当に貴重な品です」

それにしても、なぜ名古屋で和凧づくりが盛んになったのだろうか。山田さんは、和紙など凧の材料を手に入れやすかった地の利のおかげ、という。「中部地方は山岳地帯で、木曽三川をはじめ清流に恵まれています。和紙づくりに欠かせない楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、水が身近にあり、美濃の和紙は幕府・尾張藩御用紙となるなど発展しました。私どもの店の前を走るのは、東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ美濃路。上質な手すきの美濃和紙を手に入れやすい土地であったことが、和凧づくりを支えたのでしょうね」

■伝統を継ぐ職人技の結晶
名古屋の凧づくりは分業制。最終工程の張りを担う凧茂本店では地域の職人と連携し、手すきの美濃和紙、三河などの竹ひご、名古屋の綿糸を使用した伝統の和凧づくりを続けている。凧茂の凧の魅力は鮮やかな原色。1色1版、絵柄の色の数だけ版を用意し、一色ずつ色を付けていく。印刷に比べれば大変な手間はかかるが「やはり本物の良さがありますよね。染料は名古屋友禅にも使う貴重なものを贅沢に使用していますので、発色が違います。黒の色を落ち着かせるために膠(にかわ)を入れたり、和紙の地が持つ白を浮き立たせるために、裏から白色を塗ったりと、色の美しさの追求も凧茂のこだわりです」

こだわりは、それだけではない。和紙は呼吸する天然素材。より絵付けがしやすくなるよう、すいてから2~3年置いて乾燥させたものを使う。張りに使うでんぷん糊も和紙の厚みや季節に応じて水分を調節し、竹と和紙、和紙と和紙など接着する部分によっても粘度も変えて使っている。さらに、竹ひごは皮と身の向きによってしなりが異なるため、親骨には皮の部分を下に使うなど、凧の裏側にも緻密な工夫がいっぱいだ。「竹の向きで凧の揚がり方も変わりますし、ささくれがない皮の方が糊づけしやすい。こういうところにも先祖の知恵がつまっているんです」と語るのは山田直樹さん。民雄さんの後を継ぐ6代目だ。「伝統の技に無駄なことは一切ないんです。職人が研ぎ澄ませてきた技だけが伝わっていくんですよ」。和紙、絵付け、竹細工、張り。それぞれの職人技の結晶が和凧なのだ。

■凧づくりの灯を絶やさない
しかしながら、伝統の技を守り継ぐのは簡単ではない。往時この界隈で20軒あったと言われる凧屋が、今はわずか2軒になった。和紙の絵付けに1週間。その後の骨付け、縁曲げ、糸付けに3日。骨付けでは左右の均衡に、縁曲げでは弧の部分のヒダの美しさにも配慮が必要で、かかる手間と時間を考えると、継承の困難さをあらためて想う。「本物を守ってきたからこそ、時代を越えて価値が認められ、今があると思っています。ただ、美濃和紙の手すき職人や絵付けの職人も激減し、伝統工芸を守ってきた職人のネットワークは風前の灯です」。5代目が語るように、昔ながらの和凧づくりは危機に直面している。

一方でうれしいのは、凧茂本店には6代目が家業を継ぐために帰ってきた。今や5代目が感心するほどの丁寧な仕事ぶりで、名古屋凧の伝統を守ってくれている。「大学卒業後に就職したものの、いつかは家業を継ぎたいと考えてきました。長く続いてきた伝統をここで途切れさせたくないという気持ちもありましたし、考えてみれば誰でもできる仕事ではありません。やりたくてもやれない職業ではないか、と思い至ったんです」

■名古屋の空を凧で彩りたい
凧茂本店では、形は20種、柄は100種以上、大きさは15センチ程から縦2メートル程の凧までつくっている。これほどの種類を扱っているのは、おそらく全国でもここだけではないだろうか。人気は干支凧。干支凧のデザインは、毎年、全国各地の民芸品をモチーフに5代目がアイデアを練る。「毎年購入しコレクションしてくださるお客さんもいます。今年の絵柄もいいね、と喜んでいただけると、苦労も吹き飛びますよ」

凧は縁起物。昔は出世しますように、運や人気が上がりますように、という願いを込めて、お正月に凧揚げを楽しむ人々が大勢いた。今は空が狭くなり、凧揚げする場所もままならないが、やはりお正月の空にいっぱいの凧が揚がっている風景を見ることが夢なのだと5代目は語る。「飾って楽しんだ後は、ぜひ揚げて楽しんでほしいですね。うちの凧は、どれもちゃんと揚がるようにできていますから」

凧のことを語り始めたら、何時間あっても足りないと笑う5代目と、この時代にあえて凧づくりの道に飛び込んだ6代目。親子のDNAに刻まれた伝統への誇りと凧への深い愛情が、名古屋の和凧を未来へとつないでいく。

 

凧茂本店
名古屋市西区押切2-2-10
052-522-5261

参考文献:
https://www.pref.aichi.jp/sangyoshinko/densan/213.html
http://www.museum.or.jp/nagoyajo/menu02.html#04

 

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WRITER PROFILE

神野 裕美

1998年よりフリーのコピーライターとして活動。2010年、クリエイティブディレクターとともに株式会社SOZOS(ソーゾーヅ)設立。新聞、ポスター、パンフレット、Webといった各種コミュニケーションツールの企画立案・制作、ロゴ制作、ネーミングなどを手掛けている。最近はまちづくり支援の仕事も多く、なごやのまちを盛り上げるべく、多角的な視点からなごやの魅力を再発掘中。インフォグラフィックでなごやめしの紹介も。
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