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名古屋に根付く和菓子文化のひみつ

TEXT : せせ なおこ

2023.05.25 Thu

少し歩くだけでいくつもの和菓子屋さんに遭遇するほど和菓子が根付いている街、名古屋。手頃な価格なのに、和菓子のレベルはとっても高く、節句などの行事ではどの和菓子屋にも行列ができるほど名古屋では和菓子が生活に馴染んでいる。

そんな名古屋の和菓子を語る上で欠かせないのが、尾張徳川家の存在だ。徳川家御用達の和菓子屋は3つ、「鶴屋久七」「桔梗屋又兵衛」そして現在も名古屋を代表する「両口屋是清」があった。今回はそんな3つのお店の歴史と共に、現在へとつながる名古屋の歴史を紐解いていこうと思う。

尾張藩の始まり

1600年の関ヶ原の戦いで勝利し、天下人となった徳川家康。江戸城、二条城、伏見城、駿府城など全国各地の城の築城・整備をはじめた。東海道などの街道が通り、東西の勢力が衝突する要所・尾張一国、三河・美濃などの一部を含めた尾張徳川家を御三家の一つとし、新たな城、名古屋城を築いた。もともと尾張の中心であった清洲から名古屋へと城下町も移転され、これは「清洲越え」と呼ばれる。

初代藩主義直が名古屋へ入城したのは元和元年(1615)のこと。当時義直はまだ幼く、駿河に住んでいた。入城の際、駿河から名古屋に多くの商人がやってきており、こちらは「駿河越え」と呼ばれる。この「駿河越え」でやってきたのが菓子屋「鶴屋久七」である。しかし、1851年に絶家し、詳しい歴史はわかっていない。

そして、同じく駿河越えの商人として10年ほど遅れてやってきたのが「桔梗屋又兵衛」である。しかし、桔梗屋も徳川家の滅亡と共に自ら廃業し、その際一切の資料を断ってしまっている。そのため、桔梗屋の歴史的な資料は名古屋には残っておらず、言い伝えの情報しかない。

桔梗屋は城内の茶の湯のお菓子を納めていたとされる。お城のお堀の外には名古屋城から近い順番で一流武士が住んでおり、桔梗屋は元々長者町の外堀にあった。その辺の位置関係からすると、殿様のお菓子、または直接殿様と話せるレベルの重鎮の口にしか入らないお菓子を作っていたと考えられている。

桔梗屋が廃業する際に、弟子5人それぞれに徳川家縁のお菓子を分け与えている。川村屋、不老園、松川屋、中野屋、そして1854年に創業した美濃忠である。松川屋では「蒸卵(せいらん)」というお茶碗に小麦粉と水とあんこを入れて蒸したお菓子が引き継がれ、現在も2月3日に松尾流のお茶会で食べられている。美濃忠では「上り羊羹」と「初かつを」を桔梗屋から引き継いでいる。

美濃忠「上がり羊羹」

「上り羊羹」は9月上旬から5月下旬、「初かつを」は2月上旬から5月下旬に販売される季節商品で、どちらも販売時期が近づくと注文が殺到する人気商品である。

美濃忠「初かつを」

そして、現在も名古屋を代表する和菓子屋の「両口屋是清」。初代猿屋三郎右衛門が大阪から名古屋へやってきたのは1634年のこと。三郎右衛門は得意の饅頭を作り、商売を始める。尾張藩の御用菓子を目指し、1671年からは晴れて御用菓子屋をつとめた。1686年には、尾張藩第二代藩主・徳川光友より「御用菓子所 両口屋是清」の表看板を贈られた。

江戸の頃から唯一残っている両口屋是清の「通筥(かよいはこ)」

『名古屋市史 風俗編』に「名古屋菓子は品質に於ては桔梗屋を以て最とし、両口屋は藩邸の御用を以て有名なり」と書かれている。

お茶の文化とともに発展した和菓子文化

名古屋では七代将軍・徳川宗春の推奨した芸事の文化が今もなお根強く残っている。踊り、茶道、華道。特に茶道はたくさんの流派が生まれ、それとともに和菓子の文化も発展してきた。特に文化・文政期から異常なほどに茶の湯が流行し、1829年には茶事の禁止令が出るほどだった。禁止令が出たことにより、熱は冷めるどころか一層高まり、茶を飲む習慣も深く浸透した。更に明治以後、西尾が抹茶の一大産地となったことでこの習慣はより一層深まる。今でも名古屋では自宅に抹茶を常備している家庭も多いのだとか。

花桔梗本店で食べることのできる抹茶と生菓子のセット(写真はいちご餅)

尾張徳川家に仕えた流派に「松尾流」がある。初代は近江出身の初代松尾宗二(楽只斎)は名古屋と京都を往復し、茶道の普及に努めた。以後代々京都と名古屋の往復を続け、2代目の時から尾張藩の御用も勤めるようになる。松尾流のお茶席にのみに使われるお菓子「谷川(米粉を使った練り皮で餡を包んだお菓子)」や「しぐれ(米粉と餅粉を使ったお菓子)」も誕生している。

「お茶を飲む人が多いということは、お菓子を食べる人が多いということ、食べる人が多く、注文が増えると、いいものを作ろうという向上心が生まれるのではないか」と教えてくれたのは菓匠 花桔梗の伊藤誠敏さん。
桔梗屋の歴史、名古屋の和菓子文化について教えてくださった菓匠 花桔梗 伊藤誠敏さん

「味の美味しさはもちろん、谷川、こなし(あんこに小麦粉を混ぜて蒸した生地)、わらび餅、羽二重など、ちょっと変わった独特のおもしろいものが多いのも名古屋の和菓子の特徴」と語る。

スタイリッシュな店内には季節のお菓子がずらっと並ぶ

職人が真摯にお菓子作りに向き合っている、だからこそお客さんも買ってくれる。お客さんから与えられた機会を大切にするからこそまた機会が巡ってくる。そうして、正の循環が起こることにより、名古屋の和菓子文化は発展し、街に根付いてきたのではないだろうか。これからも名古屋特有の和菓子文化が受け継がれ、そして、新たな和菓子の世界を見せてくれることを期待する。

取材協力
菓匠 花桔梗
美濃忠

参考文献
尾張の和菓子を傳えて
あんこの本

WRITER PROFILE

せせ なおこ

和菓子コーディネーター/ライター。和菓子を好きになったきっかけはおばあちゃんとつくったおはぎ。日本の文化や歴史がつまっている和菓子に魅力を感じ、そんな和菓子を発信すべく和菓子メディア「せせ日和」を運営。商品開発や和菓子専用のコーヒーのプロデュースを手掛ける。