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「名古屋のコーヒー」を再考する−深煎りで濃い?喫茶文化から紐解くイメージの正体−

TEXT : さいとう みゆき

2026.06.01 Mon

「名古屋のコーヒー」といえば、どんな味?

よく言われるのは、「昔から喫茶店で飲まれていたのは深煎りで苦味があり濃いコーヒー」というイメージ。そして、深煎りが好まれてきた背景にさまざまな推測を耳にすることもある。

だが、その定説は本当に確かなものなのだろうか?

そもそも、名古屋では本当に深煎りが好まれていたのか。名古屋の人たちの生活において、コーヒーとはどんな存在なのか。コーヒーの味と地域性はどう結びつき、どう形作られてきたのか。名古屋のコーヒー業界で活躍する方々に話を伺い、それぞれの視点からコーヒーに見える“名古屋らしさ”を探った。

 


 

名古屋の人にとっての「コーヒー」と「喫茶店」

まずお話を聞きに行ったのは、「松屋コーヒー本店」会長の松下和義さん、そして珈琲愛好家・研究者の鳥目散帰山人さん。2019年のやっとかめ文化祭 まちなか寺子屋のプログラム「名古屋コーヒー学」で講師を務めた二人だ。

大須商店街内にある「松屋コーヒー本店」。直営カフェ「CAFE LE PIN 大須店」も併設している。

 

中区・大須に本社を構える「松屋コーヒー本店」は、1909(明治42)年に食料品店として創業し、1919(大正8)年からコーヒー豆を販売してきた老舗ロースターとして知られる。3代目社長を経て、現在は会長を務める松下さんは、まもなく御年90歳。長年このまちのコーヒー文化を見つめてきた“生き証人”といえる。

「日本珈琲狂会」主宰、「日本コモディティコーヒー協会」創設者の帰山人さんは、松下さんとも親交の深い人物。コーヒーに関して質問するとどんなボールも打ち返してくれる、心強い“珈琲狂”だ。

松屋コーヒー本店のおいしいコーヒーをいただきながら、この名コンビによる考察に耳を傾ける。

帰山人さん:「まず、名古屋の人はコーヒーをたくさん飲むのか?という話からしましょう。コーヒー飲用の実態について、統計資料を持ってきました」

帰山人さんが取り出したのは、総務省統計局による家計調査のデータ。都道府県所在地及び政令指定都市 計52市を対象に、1世帯あたり(二人以上の世帯)の品目別年間支出金額が発表されている。2023~2025年平均の名古屋市の支出金額ランキングは、以下の通り。

  • コーヒー(※1)/26位(8,462円)
  • コーヒー飲料(※2)/31位(5,400円)
  • コーヒー・ココア(※3)/35位(14,254円)
  • ココア・ココア飲料(※4)/37位(392円)
  • 喫茶代/1位(16,431円)

※1:粒、か粒、粉末、固体のもの ※2:液体のみ。濃縮液も含む ※3:コーヒー豆、カカオ豆を主原料とするもの。粒、か粒、粉末、固体、液体を問わない。ミルク・砂糖入りも含む。 ※4:か粒、粉末、固体、液体のもの。濃縮液も含む。自動販売機・駅・車内売りも含む。

この数値を見ると、家庭用コーヒーの購入支出は特別多いわけではないようだ。ただ、注目したいのが「喫茶代」の項目。名古屋市は全国1位と突出している。

帰山人さん:「喫茶店店主さんからよく聞くのが、『年金支給日になるとコーヒーチケットを買いに来るお客さんがたくさんいる』というエピソード。名古屋の人は喫茶代支出が多い=喫茶店でのコーヒー消費が多い、と結び付けられるのではないでしょうか。過去には近隣の岐阜市が1位であったことからも、東海圏での喫茶文化の根強さが感じられます」

一方で、コーヒー関連品の購入支出を合計すれば、喫茶代を上回ってしまうことからもわかる通り、「コーヒー文化としてイメージされる喫茶店は、消費全体の一部に過ぎないのも事実」と帰山人さんは述べる。このことを念頭に置きながらも、文化的象徴としての「喫茶店のコーヒー」について紐解いていく。

 

「ポンド」へのこだわりから見える、濃厚コーヒー主義

松下さん:「名古屋は他の都市圏と比べて圧倒的に深煎り文化が根付いているのかというと、決してそうとは言い切れない。大阪に行っても、同じことを言われるんですよ。大阪は東京と比べて、深煎り文化で濃いコーヒーが好まれていると」

帰山人さん:「名古屋と大阪、どちらのほうが深いのか濃いのか、文献でもはっきりとした差を見つけるのは難しいですね。ただ、『名古屋の喫茶店では濃いコーヒーを提供していた』という証言は残っています。会長、あの本を出せますか?」

帰山人さんの合図で、本棚へと向かう松下さん。奥のほうから、重厚な書籍を引っ張り出してくれた。

全日本コーヒー商工組合連合会出版の『日本コーヒー史』上巻・下巻。1980(昭和55)年に非売品として組合員に配布された貴重な本だ。当時の業界関係者の座談会が収録されたページには、松屋コーヒー本店(当時は「松屋コーヒー」)の2代目社長・松下真 氏の名前も記されている。

この本の中で、「名古屋の喫茶店では、1ポンドの豆(粉)から何杯のコーヒーを淹れるのか」という話題が挙がっていた。

“当時私らは1lbから40杯とることを標準にしていたのですが,うちは35杯だ,うちは30杯だ,と少なくとることを自慢にしていた。東京や大阪ではだいたい40杯から45杯ぐらいまでが標準だったと思います。”
(『日本コーヒー史 上巻』 座談会 西日本・戦前編 P351/当時の「ユニオン商事」副社長・芝原狷介 氏)

“淹れ方によっては1lbで40杯,50杯と取ることも出来ますが、本当にコクのある,まろやかな香りの飲んで飲み甲斐のあるコーヒーを淹れるには,ポンド30杯というのが正に適量と考えていい。”
(『日本コーヒー史 下巻』 座談会 西日本・戦後編 P209/当時の「伊藤コーヒー」社長・伊藤安太郎 氏)

なるべくたくさん薄いコーヒーを淹れたほうが儲かるところ、名古屋では豆をふんだんに使って濃いコーヒーを出していたというのだ。

松下さん:「戦後間もない、食べるものも少ない時代にも、それでもコーヒーは飲みたいわけです。一日一杯、貴重なコーヒーを飲むのであれば、しっかり満足感のあるコーヒーを飲みたかったんじゃないでしょうか。戦時中、コーヒー豆が手に入りづらかった頃には、なんとか似た風味を味わいたいと代用コーヒーが出回っていたくらいですから」

読み進めていくと、座談会の中では名古屋のコーヒー業界の「ポンド」単位へのこだわりの強さも熱く語られている。日本ではかつて、計量単位として「尺貫法」や「ヤード・ポンド法」が使われていたが、1921(大正10)年の法改正を経て、1959(昭和34)年から「メートル法」が導入された。

帰山人さん:「メートル法によって、国内のコーヒー業者の多くがグラム表記へと変えたあとも、名古屋ではポンド売りが続けられていたんです」

1ポンドは約453.6グラム。これを450グラムとして売ると、3.6グラム減となる。また、ハーフポンドは約226.8グラム。200グラムとして売ると、26.8グラム減となる。結果、わずかだがカップ1杯あたりに使える豆の量が少なくなってしまう。名古屋では、この端数を切り捨てずに販売することにこだわった業者がたくさんいたという。松屋コーヒー本店もその一つだ。

松下さん:「2021年まで、コーヒー豆の量り売りはポンド単位慣習の名残から『450グラム』と『225グラム』で販売していました」

2021年というと、つい5年前のことであるから驚きだ。現在は、松屋コーヒー本店でも100グラム単位での販売に統一されている。

 

名古屋の喫茶店では「生クリーム」が当たり前だった?

さらに、名古屋のコーヒーを特徴づける要素として「フレッシュクリーム」(生クリーム)が挙げられるという。

“名古屋のコーヒーはどこへいっても平均してうまい、ということです。これには理由があります。それは名古屋、あるいは岐阜や大垣も含めて東海地区といっていいかもしれませんが、戦前からコーヒーに添えるミルクに缶詰のエバミルクを使わず、どこのお店も生クリームを使っているということです。”
“私が聞いたところでは、名古屋で初めてコーヒーに生クリームを使った喫茶店は、広小路のフジヤさんだということです。”
“名古屋でもそれまでは、どこの店も缶詰のエバミルクを使っていました。”
“昭和9年に私が初めて名古屋に参りましたころは、名古屋市内に300軒から500軒ほどあった喫茶店が1軒のこらずすべてフレッシュクリームを使って居られました。”
(『日本コーヒー史 下巻』 座談会 西日本・戦後編 P205〜206/当時の「チモトコーヒー」社長/4代目代表理事会長 治面地修 氏)

上記のほかにも、フレッシュクリームについて語る業界関係者の声が収録されている。

松下さん:「名古屋の喫茶店では、戦前から生クリームを使うのが当たり前だったんです。今となっては、コーヒーを味わうというとブラックで飲む人が多いですが、当時はミルクと砂糖を入れて飲むのが定番でした」

帰山人さん:「濃いコーヒーには、コクのあるクリームが合う。逆に言うと、新鮮な生クリームを使うからこそ、コーヒーにもミルクに負けない濃度が求められたのかもしれませんね。近場に牧場や乳製品メーカーがあったので、生クリームが手に入りやすい環境にも恵まれていたようです」

このほか、名古屋のコーヒーのおいしさの理由には「ロースターから卸先の喫茶店に対して、豆の挽き方やコーヒーの淹れ方の指導が行き届いていた」「地元ロースターの結束力が強く、大手が参入しづらい環境だったため、名古屋ならではのやり方が長年定着していた」などの理由が挙げられるという。

「松屋式ドリップ」では、金枠を使う、粉の中心を掘る、30センチ上から注湯する、3分~5分蒸らす、雑味が出る前にドリップをやめて濃く抽出してお湯を加えるなど、独自の手順がある。

 

ここまで深煎りの話をしてきたが、松下さんは「松屋コーヒー本店では名古屋でもいち早く、浅煎りコーヒーを提供してきた」と続ける。

帰山人さん:「昭和37年に先代が松屋式ドリップを開発したことが、コーヒーの味を変える転機になっていますよね」

松下さん:「松屋式は、コーヒーの旨味成分だけを引き出す抽出方法です。基本の淹れ方は同じでも、温度やお湯のかけ方を変えています。無理に浅煎りにすると味が落ちてしまう品種も、松屋式で淹れることでおいしく飲めるようになりました」

あれもこれもと流れるようにコーヒーを淹れてくれた松下さん。どれもしっかり旨味がありながらも軽やかで、時間が経っても最後までおいしく味わえた。

 

松下さんと帰山人さんへの取材から、「名古屋のコーヒー=深煎りで濃い」というイメージにも根拠が見えてきた。ただしそれは、“地域特有の味覚”というよりも、ロースターや喫茶店のあり方、時代背景と密接に結びついた結果ともいえるだろう。

 


 

日常使いの喫茶店で愛される「ソフト」と「ストロング」

次にお話を伺ったのは、「ボンタイン珈琲本社」直営事業部・企画部部長の深谷幸男さん。ボンタインといえば、1948(昭和23)年の創業以来、名古屋の喫茶文化を70年以上支えてきたロースターだ。

深谷さんは、両親が喫茶店を営んでいたことから18歳でボンタイン珈琲本社に入社。ジャパンバリスタチャンピオンシップで3位入賞を果たし、その後は審査員も務めている。

 

この日訪れたのは、中区・錦にある「COFFEE&BAR Bontain」。1998年にリニューアルオープンする以前は、ボンタイン珈琲本社の「喫茶部」として営業していたそうだ。

深谷さん:「喫茶部の開業は、1958(昭和33)年。当時としては斬新な木造4階建ての建物で、上層階が本社事務所、1〜2階が喫茶店でした。なにしろ忙しい店だったと聞いています。近場で出かけるとなったら、“とりあえず喫茶店”という時代。モーニングにもランチにも来て……と、一日に何杯もコーヒーを飲む人も多かったようです。ここは長者町繊維街も近いし、周辺には大手銀行が立ち並んでいたので、商談の場所としてもよく使われていました」

当時は、喫茶店が地域コミュニティの中心。そんな“日常使い”の喫茶店では、どんなコーヒーを提供していたのだろうか。

深谷さん:「焙煎会社としては、単に『一杯飲んでおいしい』だけではなく、『毎日飲んでも飽きない』『ミルクや砂糖とも相性が良い』『モーニングや食事とも調和する』といった、喫茶店の現場で求められる味を自然と意識するようになりました」

ボンタインでは創業以来、「ソフト」と「ストロング」という2タイプのブレンドコーヒーを販売してきた。「ソフト」は、浅煎りで良質な酸味があり軽食・甘味とも相性の良いブレンド。「ストロング」は、深煎りで苦味があり砂糖やミルクとも相性の良いブレンド。どちらも時代によって使用する豆は変わっても、ブレンド後の印象は変わらないように味づくりをしているという。

現在は「ボンタインクラシックブレンド」シリーズとして「ソフト」と「ストロング」を卸販売しつつ、店舗ではダイレクトトレード豆を使ったシングルオリジンコーヒーを中心に提供している。

 

深谷さん:「深煎りも浅煎りも、どちらかに売り上げが偏らず需要があります。ただ、初めて来たお客さまに好みを尋ねると『酸味が苦手』と答えられることはよくありますね」

深谷さんによると、深煎りを選ぶ人の中には二つの傾向があるという。「シンプルに深煎りならではのコクや重厚感を求めている人」、そして「浅煎りの酸味が苦手だから、ひとまず深煎りを選んでいる人」。

深谷さん:「酸味へのネガティブイメージをもっている人に話を聞くと、実は“酸味”と“雑味”を混同している人も多いんです。豆本来の良質な酸味は、華やかさや爽やかさをもたらすもの。一方で、酸化した古い豆を使っていたり、焙煎度合いや抽出方法が適切でなかったりすると、嫌な酸っぱさ(=雑味)を感じることがあります」

酸味を理由に浅煎りを避けていた人の中には、“飲まず嫌い”も一定数いるのかもしれない。ボンタインでは、卸先の喫茶店に適切な豆の取り扱い方法・抽出方法を指導して、“地元で好まれる味”の維持をサポートしているそうだ。

ボンタインが開発した、初心者でも安定した味に抽出ができるドリッパー「ハイノメール」。業務用から家庭用まで容量の異なる1号〜4号サイズがある。

 

イタリアのバールと似ている?“憩いの場”で育まれたコーヒー文化

深谷さん:「余談かもしれませんが、名古屋の喫茶文化は、イタリアのバール文化と似ていると思うんです」

イタリアの街角にたくさんある「バール」は、立ち飲み中心のカフェバー。イタリアでは、毎朝お気に入りのバールでエスプレッソを飲んでから出勤するのが定番だという。昼は軽食を食べて休憩したり、夜は仕事帰りにお酒を楽しんだり。さまざまなシーンで気軽に立ち寄る、日常生活に欠かせない場所だ。

深谷さん:「一人で新聞を読んでいる人もいれば、家族や友人とテーブル席で談笑している人もいる。“街の憩いの場”であり、家と職場の間にある“第三の居場所”でもあるという点は、名古屋の喫茶店も同じです」

「常連客がボンタインの店の味を育てていった」と深谷さん。

 

憩いの場で飲む、日常のささやかな楽しみとしての一杯。深谷さんの話を聞くと、“名古屋らしいコーヒー”の味は一つではなく、コーヒーを楽しむ人の数だけ解釈があるのかもしれないと、捉え方が広がった。

 


 

現代のコーヒーに求められる、「伝統」と「流行」

最後に取材をしたのは、西区・那古野の「喫茶ニューポピー」マスターで、焙煎・卸売をはじめさまざまなコーヒー事業を手掛ける「BEANS BITOU」代表の尾藤雅士さん。


(提供:BEANS BITOU)ニューポピーが運営するレンタルスペース「ポピー談話室」にて。談話室は、今後店を持ちたい人や表現をしていきたい人に向けたスペースとして貸し出している。

 

尾藤さんは両親が名古屋駅近くで営んできた「喫茶ポピー」を継いだのち、2019年に「喫茶ニューポピー」をオープンさせた。喫茶文化を大切にしながらも現代のコーヒー業界を牽引する担い手は、“名古屋らしさ”をどう捉え、受け継いでいるのだろうか。

尾藤さん:「20年ほど前、ポピーを継いだ頃に淹れていたコーヒーも中深煎りでしたね。その頃は、ネルドリップで一度に大量抽出していました。昔の大衆喫茶では、朝からたくさんのお客さんが来店するので、効率が求められていたんです」

当時を振り返り、「他店でも深煎りが多かったと思う」と尾藤さん。「深煎りで飲みごたえのあるコーヒーが“名古屋らしさ”の象徴として定着している限り、ニューポピーとしては地域のストーリーを受け継いだ味を提供していきたい」としたうえで、「地域の嗜好」と「多様な需要」、どちらにも応えていきたいと語る。

尾藤さん:「サードウェーブコーヒーのブーム以降は、名古屋でも浅煎りコーヒーがすごいスピードで浸透していくのを体感しました。ここ数年でコーヒーの選択肢が無数に広がって、一定の好みだけではなくその時々の気分によってコーヒーを選ぶ人も増えたと思います」

ニューポピーでは直接産地に赴いて豆を選び、個性豊かなシングルオリジンコーヒーと、深煎りから中浅煎りまでのブレンドコーヒーを揃え、コーヒーファンの心を掴んでいる。

 

これまでの味を守り、これからの味をつくる

円頓寺商店街近く、四間道にある喫茶ニューポピー。すぐ近くには、2024年にオープンした新たな拠点「ポピー焙煎室」も。

 

県外からも「名古屋の喫茶店」を求める人が訪れ、すっかり人気店となったニューポピー。最近ではインバウンド観光客の来店も増えているという。尾藤さんは、純喫茶らしさを守りながらも、名古屋の喫茶文化が海外にも広がる可能性をおおらかに歓迎している。

尾藤さん:「これまでの“名古屋らしい味”を後世にも残しつつ、これからの“名古屋らしい味”がどんどん生まれても良いと考えています。たとえば、昭和の喫茶店ブームの頃にはブルーマウンテンが日本中に広まって、今でも『おいしいコーヒーといえばブルーマウンテン』というイメージをもっている人がいる。そこまでブランディングが確立されているのって、すごいことだと思うんです。 “名古屋のコーヒー”の新定番をつくることにも、挑戦してみたいですね」

BEANS BITOUでは開業支援、企業連携の商品開発、間借り喫茶スペースの運営など次々と事業を展開しているが、「喫茶店」を軸に据えていることは変わらない。

尾藤さん:「喫茶店という空間で、一杯のコーヒーで一瞬でもホッとできる時間をつくれたら。たとえば僕にとっては、ポピー時代、早朝の開店準備を終えて『今日も間に合った』と母と一緒に飲んだコーヒーが一番心に沁みる味でした。あの一杯を超える味はないですね」

その時の環境や心の動きが、コーヒーの印象を変えることもある。思い出の味と言ってしまえばそれまでだが、目には見えないものがスパイスとなり、誰かにとっての「名古屋の味」として記憶に残れば素敵なことだろう。

 


 

各者の話を通して見えてきたのは、「名古屋のコーヒー」はけっして単一の味ではないということ。

たしかに、「戦前から豆を多く使って濃厚な抽出をしていた」「ミルクに生クリームを使っていた」といった特徴は存在する。しかしそれらは、「名古屋の人はこういう味が好きだから」という単純な理由ではなく、喫茶文化が根強い環境下で、複数の要因が重なり合って生まれてきたものだったといえる。

そして、個々の嗜好を自由に選べる時代になった今、「名古屋のコーヒー」はより多様な解釈に包まれた存在となっている。大正、昭和、平成を経て、令和の世に描かれる、“名古屋らしさ”のやわらかな輪郭の変化を見守っていきたい。

 

参考文献/
『日本コーヒー史』上巻・下巻(発行:全日本コーヒー商工組合連合会)
総務省統計局 家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2023年(令和5年)~2025年(令和7年)平均)

取材協力/
松屋コーヒー本店
ボンタイン珈琲本社
BEANS BITOU(喫茶ニューポピー)
鳥目散帰山人 帰山人の珈琲遊戯帰山人の珈琲漫考

WRITER PROFILE

さいとう みゆき

広告制作会社勤務を経て、2020年より企画・編集・執筆業を中心にフリーランスとして活動。まちと文化を愉しむコンテンツづくり・場づくりを行う。名古屋の風景や歴史、地域をつくる人の物語などを伝えていきたい。