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かつて名古屋に日本一の貸本屋があった! 「大惣」研究の第一人者・ミギー先生が語る痕跡本の面白さ

TEXT : 谷 亜由子

2025.03.27 Thu

2024年11月、やっとかめ文化祭DOORSでは名古屋大学大学院人文学研究科准教授のディラン・ミギー氏を講師に招き、『旅するなごや学【貸本屋「大惣」の〝痕跡本〟に見る読書家たちの姿】』を開催した。ニューヨーク出身で、長きにわたって日本近代文学や出版文化の研究に携わっておられるミギー先生は、貸本屋「大惣」研究の第一人者としても知られている。

やっとかめ文化祭 「旅するなごや学」の模様

 

貸本屋「大惣」を研究するディラン・ミギー先生

1767年(明和4年)に名古屋の長島町(現在の中区錦二丁目)で創業した「大惣」は、江戸時代の後期から明治時代にかけおよそ150年にわたって続いた貸本屋で、読本(よみほん)や草双紙(くさぞうし)といった軽めの小説から、浄瑠璃本など演劇に関する資料、さらに医学書や宗教書といった専門的な本まで蔵書のジャンルは多岐にわたり、武士から庶民にいたるまで幅広い人々に愛された。また「大惣」では仕入れた本を売却せず、すべて蔵書として保管。このスタイルは当時の貸本屋としては珍しく、それによって貴重なアーカイブとしての機能も果たしていたという。

明治に入り、各地に新聞縦覧所ができるなど庶民の関心は徐々に雑誌や新聞に移行。貸本屋の需要は激減し、やがて「大惣」も廃業。2万数千冊にも及んだという蔵書や資料の一部は現在、東京大学や京都大学の図書館などに分散して保管されている。ミギー先生はその膨大な蔵書をつぶさに調査し研究を続けている。

やっとかめ文化祭の講座では、貸本屋「大惣」の成り立ちから、もっとも隆盛を誇った頃の店の様子、江戸時代の書物の仕入れの仕組みなど、貴重な研究資料を用いながらミギー先生がユーモアたっぷりに紹介。中でも興味深かったのが、本の中の余白に読者が書いたいたずら書きなど、書き込みが残された「痕跡本」のこと。ミギー先生は研究の中でこうした痕跡本に出会い、当時の市井の人々の暮らしぶりや、そこから読み取る人間の心情など、現代にも通じる大衆文化に強く興味を惹かれるようになったという。

盛況のうちに終了した講座の後でミギー先生の研究室を訪ね、アメリカ出身の先生が日本の近代文学を研究することになったきっかけや、「大惣」研究の魅力などについて改めてお話をうかがった。

 

名古屋大学を訪ね、ミギー先生のお部屋にてインタビュー

 

東洋の文化に触れて育った幼少期

――先生はニューヨークのご出身だとうかがいましたが、名古屋でお仕事を始められたのはいつですか。

2011年の5月に名大の准教授に着任しました。それを機に家族とともに名古屋に来ました。

――2011年の5月というと東日本大震災の直後ですが、日本に来ることに不安や心配もあったのでは?

妻は日本人ですので問題なかったのですが、娘はまだ3歳と幼かったので私の家族からの反対はありました。ただ私自身は震災前からアメリカと日本を行ったり来たりしながら研究をしていましたし、日本で仕事をすることは震災の前の年にすでに決まっていました。家族みんなで暮らし始めるのがたまたまそのタイミングになってしまったわけですが、逆にそんな時だからこそ、自分の研究を通じて何か日本に貢献できることもあるかもしれないという思いがありました。

――そうだったんですね。もともとどういったテーマで研究をなさってこられたのですか。

アメリカにいる頃は主にアジアの文学を研究対象にしておりました。専門は近世の日本文学と中国文学との比較で、比較文学では博士号を取得しています。

日本の近代文学や出版に関する書籍や資料が並ぶミギー先生の書棚

 

――日本の文学にご興味を持たれたきっかけは?

祖母が昔から日本の文化が好きで、私が小さい頃から日本製の陶器など、家の中には祖母が集めた東洋チックなもので溢れていました。当時(1960年代頃)はまだアメリカでは日本人差別が強く残っていた時代でしたが、祖母には日本人の友達がたくさんいて、よく自宅に招待したりしていたんですよ。

――お祖母様の影響が大きかったのですね。

祖母はアメリカでも大学に進む女性が珍しかった時代に、コロンビア大学を卒業しています。そんな祖母への憧れもあったと思います。私はもともと美術や絵画が好きで、自分でも絵を描きたいと思い美大を目指していました。その頃に美術的な視点で東洋の文字や漢字に興味を持つようになり、独学で日本や中国の文字を学んでいましたが、画家で生計を立てるのは厳しそうだなと思って文学研究に転向しました。ビジネスセンスにはまったく自信がないので…(笑)

 

名古屋との縁の始まりはドラゴンズ⁈

――そうだったんですね(笑)。大学の先生として日本でお仕事をされるようになったのが2011年とのことでしたが、その前に名古屋にはいらしたことは?

旅行や試験などで何度か来たことはありました。名古屋の印象は当時からとても良かったです。実は来日する前の私にとって、日本のイメージがそのまま名古屋のイメージだったんですよ。

――どうしてですか??

子供の頃から野球が大好きで、毎日試合を見るのが楽しみでした。ところが1995年にアメリカで野球の試合がすべて中止になってしまうストライキがあったんです。試合が見られないので仕方なく家にあった『ミスターベースボール』という映画のビデオを毎日見ていたんですよ。あの映画はドラゴンズがモデルになっていて名古屋を舞台に撮影されたものなんですよね。おかげで日本文化のこともいろいろ学べたのですが、名古屋のイメージが日本そのものとして印象に残っちゃったんです(笑)。いま思えばあれが名古屋とのご縁の始まりだったのかもしれませんね。

――なるほど。それで今もドラゴンズがお好きなんですね。ところで先生が名古屋に赴任された時にはすでに「大惣」のことはご存知だったんですか。

もちろん知っていました。とても興味があったのですが、アメリカにいた時はもう少し広いテーマで日本研究をしていたので、まさかその後で自分の研究テーマにするとは思っていませんでした。というのもアメリカにいながら日本の研究をするとなると資料の調整が非常に困難で、電子化された資料でなければ閲覧するのも難しいんです。夏の間に数週間だけ来日して限られた期間にできるだけかき集めて…と、なかなか苦労します。特に「大惣」に関しては資料の数も非常に多いのでより大変。そんな中、名古屋での仕事が決まったのを機にいよいよ本格的に研究してみようと思いました。

江戸時代に今の中区錦二丁目で創業した「大惣」。当時、周辺には貸本屋が何軒もあったという。

 

本を介して見えてくる
生き生きとした人々の営み

――現在の錦二丁目にあったと言われる「大惣」。今ではその面影は残っていませんが、当時の人々は本というものをどのように楽しんでいたと思いますか。

「大惣」をはじめ貸本屋が一番栄えたのは文化文政時代に入ってからですね。背景には、寺子屋ができて識字率が上がり読者が一気に増えたことなどが考えられますが、この頃は「大惣」でも本の仕入れがますます盛んになっていきました。大衆文学の中でもよく読まれていたのが「合巻」と呼ばれる絵入りの草双紙で、特に女性に人気があったようです。あとは『里見八犬伝』のような読本ですね。一方で「大惣」では専門書もたくさん揃えてはいたようですが、今もわりと綺麗な状態で残っているので、そういった書物は実際はそんなに頻繁に借りられていなかったのかなと思います。

――そういうことからも人気や読書傾向が推測できるんですね。先生にとって「大惣」研究の一番の魅力はどんなところですか。

実は名大に着任する頃、文学に対する自分の考え方に少し変化がありました。これまで文学の研究を専攻してきましたが、私は決して純文学の人ではないなと気づいたんです。それよりも大衆の文化の方に面白みを感じるし、そもそも美術が好きですので「絵入り本」にもとても興味があります。文学そのものというより、「本」そのものや、本にまつわる大衆文化に興味を惹かれるんです。「大惣」は高尚な文学ばかりでなく、当時の庶民が好んで読んだ大衆文学なども数多く扱っていて、そこから人々の生き生きとした暮らしの様子を想像することができる。そういったところに面白さを感じます。

「絵入り本」を手に魅力を語るミギー先生。物語の情景を描いた迫力ある挿画は当時の読者の人気を呼んだ。

 

――本の向こう側にいる人たちの心の動きや行動に、より興味を感じられると。

そうですね。昭和の時代に活躍された前田愛さんという日本文学の研究者がいますが、前田さんは明治時代の庶民の読書文化が気になって、明治生まれだった自分のお祖母さんに話を聞いたそうです。すると、明治の頃の読書は声に出して音読するのが一般的だったとか具体的な体験を聞かせてもらえたのだそうです。古い時代の研究ではそれができないのですが、その時代を生きた人から直接聞き取るエスノグラフィー(民俗学的)な視点からの研究に非常に興味があります。

――江戸時代のこととなると、そういうかたちでの調査はさらに難しいですね。

そこが非常に残念なんです。「大惣」研究で私が〝痕跡本〟と呼んでいる、本の中に残された落書きなどからその時代の読者のことを想像するしかありません。あとは個人の日記とか当時の人が記録したものを頼りにするぐらいでしょうか。

――それでも、当時の読者が残した落書きが、民俗研究の上ではいまや貴重な歴史的資料になっているというのは面白いと思います。

落書きに関しては、「大惣」のものは他の貸本屋のものに比べるとそんなに多くはないのですが、非常に興味深いなと思うのは、本が流通する過程でその書き込みが他の人の目にも触れるということなんです。書き込みや落書きを中心に読者間のコミュニティが生まれる。つまり、本というメディアに口コミやコメントを残し、それを不特定の人たちが見るという仕組み。そこは現代のSNSと似ていてとても面白いですね。

――本が掲示板のようなメディアの役割を果たしていて、知らない人同士のコミュニケーションが生まれていたということですか。

そう。中には明らかに自分の描いた絵を自慢したくて、これ見よがしに歌舞伎役者の絵とかを描いているような人もいます。実際、かなり完成度が高い!(笑)

――そこも今と同じで、まさに承認欲求を満たすツールだったということですね(笑)

そうなんですよ。「大惣」では、地元の絵師や作家らが写本をするなど、そういう人たちの活躍の場にもなっていたようです。一般の読者もいつか誰かの目にとまることを期待して、貸本の片隅に自分の作品を描いてアピールしていたのかもしれません。それもあくまで想像でしかなく、描いた人たちにインタビューできないので本当のところはわかりませんが。

痕跡本から透けて見える名も無き庶民たちの声。「そこに時代を超えて共通する人間の本質がある」とミギー先生。

 

ミギー先生が手がける次なるテーマとは?

――当時の様子をあれこれ想像してみるのは楽しいですが、研究となると、やはり直接お話を聞きたかったというもどかしさもあるのでしょうね。これまで地道に続けてこられた先生の「大惣」についての研究は、いまの時点でどのあたりまで進んでいますか。

本にまとめて出版する予定で、原稿はほぼ完成に近づいて最終段階にきています。実はいま、内容はまったく違いますが、すでに二冊目の本の原稿を書き始めているんですよ。

――そうなんですね!次のテーマは何ですか?

昭和50年代のアメリカのSF映画愛好家たちのファンクラブが発行していた会報誌や同人誌を作っていた方たちに取材をさせていただいています。

――なんだか面白そう!

古い時代のものを対象としていると当事者に直接会って話を聞くことはできませんが、研究者としてはやはりどうしても当事者に直接会って話を聞きたいという欲求がありまして、次のテーマは昭和のポップカルチャーをテーマにしました。これまで培った研究スキルを生かしながら、テキスト分析とエスノグラフィー的な手法を用いて研究を始めています。

――新しいテーマも興味深いです。楽しみにしています。

あと3年ぐらいはかかりそうですが、昭和50年代に盛んだったファンクラブの研究を通して何らかの新しい知見を身につけられたらと思っています。そこで得たスキルを生かして、私の興味は再び江戸時代に戻っていくかもしれません(笑)。江戸時代に「ファン文化」や「ファンクラブ」のようなものが存在していたかはわかりませんが、そういった視点から近世の日本の民族や文化を掘り下げてみたいですね。

新たな研究テーマでの書籍化を目指して現在も取材活動に勤しむ。

 

本離れが進む時代に私たちが忘れてはならないこと

――最後になりますが、いま日本に貸本屋さんはほとんどありませんし、一般書店も減っています。名古屋でも同様に良い本屋さんがなくなってしまうなど本離れは進む一方です。本を通じて大衆文化の研究をなさってきた先生から見て、そういう状況をどのように感じますか。

かつて、私自身もアメリカの大学で勉強をしながらずっと本屋さんで働いていました。チェーン展開している大型の書店でしたので、最新の検索システムも導入されていてどんな本もすぐ見つけることができましたが、そこで働いていて感じていたのは、スタッフのノウハウが圧倒的に足りていないということでした。むしろ個人経営の小さな本屋さんの方が、実は主人が豊富な知識を持っていて、お客さんがあいまいな情報しかなかったとしてもすぐに目当ての本を見つけてくれたり、要望に合う本をおすすめしてくれたりします。ネットの口コミを参考にしたとしてもその能力には敵いません。大型書店だけでなくアマゾンも同じです。今後、書店経営はますます厳しくなっていくと言われていますし、どうしたら良いか具体的なアイデアは私にも浮かびませんが、例えば「大惣」が150年もの長きにわたって生き残れたのには、そこに何か秘訣があったのではないかと思います。当時のビジネスモデルとして斬新さがあったということも言えると思います。そこに現代の書店経営や出版業界の人たちにとって参考になる部分があるかもしれないですね。

 


 

「大惣」を愛した庶民たちの生き生きとした暮らしぶり。ミギー先生の講座とインタビューから、当時の人々の人情が垣間見える〝痕跡本〟の魅力を存分に感じることができた。手に取って読むことのできる「本」は時代の写し鏡でもあり、いつの時代においても人々のコミュニケーションツールとして大事な役割を果たしてきたのだろう。欲しいものがワンクリックでいとも手軽に手に入る時代を生きる私たちは、その便利さを享受しつつ、人と人とが結び合う縁(えにし)や心の機微、人情といったかけがえのないものへのありがたみを忘れないようにしたい。

WRITER PROFILE

谷 亜由子

放送作家として20年以上にわたり番組制作の現場で活動後、NPO「大ナゴヤ大学」の立ち上げに携わり企画メンバーとして活動。「SOCIAL TOWER PAPER」、「ぶらり港まち新聞」の企画・取材などを担当。地域活性プロジェクトなどの仕事では各地を旅しています。何かの奥に隠れているものを覗くのが好き。蓋のある箱の中身や閉ざされた扉の奥にある空間、カーテンの向こう側の景色が気になります。人の心の奥にある思いや言葉を引き出す取材、インタビューが好きなのもそれと同じなのかもしれません。