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「ない」ものを見つける、見つめる。 あわいの時代の新しい視座。

TEXT : 神野 裕美

2018.02.12

存在しない文字「心」の発見
人類が越えてきたあわいの時代を知る手がかりとして、安田氏は一つの文字に光をあてる。それは「心」。実は、甲骨文字の中に「心」という文字は存在しない。そこに意味を見出した安田氏は、「古代の人々は幼子のように、過去や現在という時間感覚がなかった。そのために悲しみも感じなかったのではないか」と推察する。心にとらわれる現代人にとっては想像もつかないが、確かに心が未発達だった幼い頃は、恋も愛も悩みも知らなかった。悲しみを抱えることになったのは、心という器ができたからなのだろう。
さらに興味深いのは、この存在しない文字に着目した安田氏ならではの『論語』の解釈だ。私たちの知る『論語』は、伝承されてきた孔子の言行を、その死から数百年後に文字として記録したもの。ところが、後世に成立した文字の部分を、孔子の生きた紀元前500年頃の文字に置き換えてみると、数々の名言が新たな意味を持ち始める。これまで口承されてきた事柄を、記憶として留める文字。しかし、記されていないものや変化したものの面影を見つけ、見つめることで、違う世界が見えてくる。それは、あわいの時代を生きるためのヒントになるはずだ。

 

 

見えないものを見る力
シンギュラリティの構成要素の一つにあげられるAR(拡張現実)。安田氏は、日本人をARに向いた民族だとも語る。だからこそシンギュラリティの時代は、日本にとってチャンスなのだと。見えないものを見る力、聴こえないものを聴く力は、多くの日本人が備えている。例えば、能舞台の背景には松だけが描かれる。にもかかわらず私たちがそこに見るのは、能で演じられる幽玄の世界だ。座の結び、安田氏による『夢十夜』の語りでも、仄暗い漱石の世界を参加者はそれぞれの目の前に映じて見ていたのではないだろうか。

 

ナゴヤ面影座の第二講は、あわいの時代の名古屋に生きていることを、あらためて認識させるものだった。今はないが、かつてこの地に存在したもの。かつてはなかったが、今はこの地に存在するもの。あわいを生きる私たちは、ない世界とある世界を自在に旅するワキではないか。潜在するAR能力を発揮して時空を行き来すれば、いにしえの面影だけでなく、未来の面影も今に見つけることができるかもしれない。ワキとしての視座から名古屋を見渡せば、そこには新しい世界が開けてくる。

 

写真:あいざわけいこ

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神野 裕美

WRITER PROFILE

神野 裕美

1998年よりフリーのコピーライターとして活動。2010年、クリエイティブディレクターとともに株式会社SOZOS(ソーゾーヅ)設立。新聞、ポスター、パンフレット、Webといった各種コミュニケーションツールの企画立案・制作、ロゴ制作、ネーミングなどを手掛けている。最近はまちづくり支援の仕事も多く、なごやのまちを盛り上げるべく、多角的な視点からなごやの魅力を再発掘中。インフォグラフィックでなごやめしの紹介も。
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