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香りを聞くということは、 せつなくてたまらない、 ということかもしれない。

TEXT : 近藤マリコ

2017.09.02 Sat

ちょっと古い話だけど、寺尾聰が「ルビーの指輪」(作詞:松本隆 作曲:寺尾聰)で、「街でベージュのコートを見かけると指にルビーのリングを探すのさ、あなたを失ってから」と、別れた女性への恋慕を唄っている。かつて好きだった人の思い出を、街で偶然見つけてしまった時のせつない気持ちは、誰しも経験があるだろう。
宝箱にしまっておきたいような大切な思い出を蘇らせるのに、五感の中で圧倒的に多いのは、臭覚ではないだろうか。聴覚、味覚、視覚、触覚は、大脳新皮質にいくが、嗅覚だけは脳幹にある感情を司るところに回される。だから古い記憶が香りによって蘇るのだそうだ。
実は筆者にも今となってははずかしいような、脳幹と嗅覚が直結した実体験がある。昔好きだった人が纏っていたのはイヴサンローランの「ジャズ」というフレグランスだった。その人と別れてからずいぶん経った頃に、仕事でご一緒した男性が、そのフレグランスを使っていたため、初めて会った人なのに妙な親近感を持ってしまったことがある。それからしばらくその香りが忘れられなくなって、ネットで「ジャズ」を購入して時々身につけていたのだけど、いつの間にか「ジャズ」の小瓶はどこかにやってしまった。捨てた記憶も使い切った記憶もないので、もしかするとしまいこんだ箱からいつか見つかるかもしれない。そうしたらまたあの人のことを思い出すことになるのだろうか。

さて、やっと本題。脳幹に直結する香りを、芸道へと昇華させたのが、香道である。日本の伝統文化の三大道(茶道・華道・香道)のひとつだ。茶道や華道と違って流派も教室も少ないため、香道の世界は入り口こそ狭い。が、その奥は深く長く永遠に続く、終わりなき道なのである。
香道の発祥は室町時代で、主な2つの流派は、志野流と御家流。大まかに言えば、武家の流派が志野流で、公家の流派が御家流。志野流香道は志野宗信を流祖に仰ぎ、現家元である蜂谷宗玄氏で二十世を数える。志野流十五世である蜂谷宗意は、幕末の動乱による戦禍を逃れ、京都より名古屋に移り住み、香席「松隠軒」を創設した。以来、現代に至るまで志野流のお家元は名古屋を拠点にされている。

地下鉄鶴舞線「浄心」駅を降りて、大通りから一筋北に入った角を曲がり、松隠軒を探す。すると立派な門構えの前に、無形文化財を示す名古屋市の立て看板がある。そこが名古屋城の西北に位置する志野流の香席・松隠軒である。玄関から奥へといざなわれ、香席へと通していただいた。静謐な空間には、風がそよぐ音だけが聞こえ、待つ側には自然に緊張が伴う。我々のそんな気持ちを察してか、頃合いを見計らったかのように、若宗匠・蜂谷宗苾さんが現れた。
志野流は現家元で二十世。若宗匠はいずれ第二十一世を継ぐ人である。五百年に渡る長き歴史は、当然のごとく、かつての蜂谷少年にとって重荷だったに違いない。「三代目とか四代目なら、祖父や曾祖父ですから、リアルに理解できますよね。でも二十一代となると、正直言ってよくわからないんですよ」その歴史の重みから逃げて、他のことで気をまぎらわせていた時期もあったと言う。「父もそんな私に寛大でした。無理矢理おしこむよりも、自然に任せるのがいいと考えてくれました」
ところが、ある日、事件がおきる。サッカーを楽しんでいる最中に脳腫瘍で倒れてしまったのである。幸いにして良性のもので手術により完治したが、その出来事は若宗匠の人生を大きく変えるきっかけに。「育った家の重みから逃げていた私に、ご先祖様が痛い目にあってよく考えなさいと言ってくれていると感じました」五百年の歴史を受け継ぐ覚悟を決めた若宗匠は、寺修行に出る。身体的な苦しみを乗り越えた時、同時に精神をも昇華することができたのだろうか。

若宗匠は、五百年前に志野流をおこした流祖への思いを口にした。「流祖が志野流をおこしたのは、ちょうど応仁の乱で世の中が疲弊していた時代。現代もやはり疲弊気味ですよね。同じような時代を過ごす者として、流祖に思いを馳せながら、香りを聞いていきたい。そして香道を私の言葉でわかりやすく伝えていきたいと思っています」名古屋を拠点にしながらも、東京、京都、中国、パリ、と世界中の教場を飛び回るようにして活動している若宗匠。どの国のどの都市でも、志野流香道は人々に内省を促す香りを放ち続けている。「もしも地球を香りで包むことができたなら、人の心は穏やかになるのではないかと思うのです」若宗匠のその言葉を聞いて、香りを嗅ぐことを香道で「聞く」と表現することを思い出した。「聞く」には「感じる」という意味が本来あるというが、香りを聞くことは、自分の心の声に耳を傾けるということなのではないだろうか。かつての恋を思い出して、せつなくてせつなくてたまらない気持ちが、心の中にじんわりと蘇ってくるのを感じた。

蜂谷宗苾
志野流香道の第二十一世家元継承者。幼い頃から、志野流を継承する者として、多大な期待と重圧を一身に受けて育つ。25歳で寺修行に入り帰名。平成17年に大徳寺松源院住職より宗名・宗苾を拝受する。志野流香道普及のため、日本国内のみならず、海外にも出掛けて教室開催やイベントなどにも積極的に参加。香木となる樹木を守るために、ベトナムでの植林活動を続け、自ら苗木を手植えしている。

 

松隠軒
名古屋市西区上名古屋2-10-5
052-531-0917

 

WRITER PROFILE

近藤 マリコ

やっとかめ文化祭ディレクター、コピーライター、プランナー、コラムニスト。
得意分野は、日本の伝統工芸・着物・歌舞伎や日舞などの伝統芸能、工芸・建築・食など職人の世界観、現代アートや芸術全般、食事やワインなど食文化、スローライフなど生活文化やライフスタイル全般、フランスを中心としたヨーロッパの生活文化、日仏文化比較、西ヨーロッパ紀行など。飲食店プロデュース、食に関する商品やイベントのプロデュース、和洋の文化をコラボさせる企画なども手掛ける。