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名古屋・栄に店を構えて65年。 高級洋装店「舶来の店 パリー」オーナーの“パリーさん”は今年90歳を迎える現役の服飾デザイナー

TEXT : 谷 亜由子

2017.09.26

パリーさんのお店は大津通沿い、パルコの正面にある。栄ミナミエリアといえばいまや観光客はもちろん、ファッションやカルチャーに敏感な多くの人が行き交う栄随一のファッションストリートだ。ところが当時、栄交差点からわずか数百メートルほどの距離にもかかわらず、南と北で町の様子は今では想像ができないほど違っていたそうだ。

 

「あの頃すでに栄は垢抜けた町だったけれどこちらはまだ下町の雰囲気。最初はこんな場所でお店をやっていけるのかしらなんて不安に思ったものよ。でもね、その後、目の前にパルコができて。それで町が一気に変わったわ。」

「もうすぐ30年になるのかしら。パルコができる前、ここはゴルフの打ちっ放しの練習場だったのね。その向こう側にそば屋さんの大きな松の木があった。景色が今とはまるで違っていた。パルコができて栄の町が南北でひとつになった気がするわね。」

「でも、やぶそばさんはパルコができた後もずっと続いていたし、岡本造花店さんはその当時からあったのよね。その隣にはベルンっていうガラス張りの喫茶店があって。」

「あったわねー。私が小さい頃には大津通にはもう車もけっこう走っていたけど信号なんてなくて、あったのは栄交差点だけ。いまのラシックの南側、お漬け物の大和屋さんのある交差点にも信号がなかったの。道の向こう側に渡るのが恐くて。横断中の旗を持って待っていると、昔のおばちゃんたちはみんな優しくてね。“渡るの?じゃあ一緒に行きましょうね”なんて言って手を引いて渡らせてくれたりしたのよ。」

「昔は子供を育てるときに心配することが今とは違っていたわね。ひとりで公園で遊ばせておけばとりあえず安心。危ないのは車くらい。だから“公園から出ちゃだめよ”なんて言って遊ばせておいたりしたけれど。」

「いまじゃあ、公園にひとりで遊びに行かせることの方が危なくて心配な時代だもの。随分とのどかな時代だったわね。」

「お店の前を行き来する人たちの雰囲気も時代とともに変わっているわ。」

「町が一気に変化したというか、大きく動いたのはやっぱり戦争のすぐ後の時代だったからでしょうね。戦後ってみんなが何もないところから立ち上がった時代だから。」

「そうかもしれないわねぇ。気がつけば、私もこちらに来てからの方が長くなっちゃった。」

「デザイナークラブのショーに出し続けていたころがお母さんの黄金時代だったわ。そしてこのパリーとお母さんはずっと “栄の人”。それなのに、こんなに長く頑張ってきても、うちにはその頃の写真がひとつもないのよね!」

「そうなのよ。写真が全然残ってない。だって写真撮ってる余裕なんてまるでなかったもの。仕事というものはね、お金をいただいて注文をお受けしたら何があってもとにかく着られるものに仕上げなくちゃいけない。責任ですから。子供のこと、家庭のことももちろん大切だけれどそのときには仕事のことを考えるので精一杯だった。他のことをする余裕はなかったわ。その分、お父さんが子どもたちのことを気にかけてくれていた。お父さんがあってのパリーだったわね。」

 

 

二人の思い出話から見えてくる、時代ごとに表情を変えてきた栄の町の情景。色や匂い、音までをともない生き生きとよみがえってくるようだ。
町の変遷を見つめながら、多くの得意客のオーダーをこなし、ひたすら仕事に邁進してきたこれまでの年月を振り返るパリーさん。デザイナーとして仕事を続ける意欲をまだまだ残しつつ、ついに今年、お店を閉じることを決意した。

「ここにあるたくさんの生地ももう私の手で洋服になることはないの。少しさみしさも感じるけれど、閉店を機に、欲しいと言う方に思い切って格安にお譲りしようと思っているの。片付けるというのはそういうことだから。おしまいにすると決めたのならば未練を残さず潔く片付けなくちゃね。」

 

 

戦争が終わり、物の無い時代を経て、人々が日々の生活に潤いと華やぎを取り戻していった激動の時代。自由にお洒落を嗜む余裕を手にし、自分のために仕立てられた洋服で美しく装うことを楽しんだ女性たちに、パリ仕込みの技術とセンスで洋服を創り続けてきた。
そんなパリーさんが口にする“時代の後始末という”言葉が印象的だ。

 

「私の仕事はね、“時代の後始末”だと思っているの。時代とともに流行はどんどん変化していくし、町には常に新しい服があふれている。そこから好きな服を選んで気軽に着る。いまはそういう時代だからそれでいい。それでも今日までずっと、私に服を作って欲しいと言ってくださる方もいてくださった。だから細々とでも頑張ってこられたの。でもついにお針子さんもいなくなってしまった。時代が変われば町も変わる、仕事も変わる。仕方の無いことね。これまでずっと好きなことをしてこられたのだからこれでいいのよ。」

 

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谷 亜由子

WRITER PROFILE

谷 亜由子

放送作家として20年以上にわたり番組制作の現場で活動後、NPO「大ナゴヤ大学」の立ち上げに携わり企画メンバーとして活動。「SOCIAL TOWER PAPER」、「ぶらり港まち新聞」の企画・取材などを担当。地域活性プロジェクトなどの仕事では各地を旅しています。何かの奥に隠れているものを覗くのが好き。蓋のある箱の中身や閉ざされた扉の奥にある空間、カーテンの向こう側の景色が気になります。人の心の奥にある思いや言葉を引き出す取材、インタビューが好きなのもそれと同じなのかもしれません。