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無数の欠片ひとつひとつに。幾人もの人の想いがこもるモザイク壁画。

TEXT : 谷 亜由子

2018.01.30

インタビューのはじめに、まず、モザイク壁画の何にそれほど惹かれるのかを聞いてみると、森上さんは、「聞かれることは多いですが、実は自分でもこれという明確な理由が答えられないんです。」と戸惑いつつ、しばらく考えた後、「きっと、いろいろありすぎて端的に言えないのかもしれない。興味を持つきっかけはあったんですけど、そこからいろいろ調べていくうちにどんどんはまってしまったので。いつの間にか、そこに壁画があると聞けば、見に行かなくてどうする!みたいな気持ちで出かけるようになっていました。」

ところが「そもそもそうやって、好きだから見に行くっていう純粋な動機だったはずなのに、ガイドツアーなどをするようになってからは、期待に応えるためとか、知識を増やすため、コースを組む前の下見のため、みたいな理由で動くことが多くなってきてしまって。」最近のそんな姿勢を反省することが増えたのだと言う。

「とは言え、こうしてガイドをするために本を引っ張り出してきてもう一度読み返してみたりしていると、あ、これ見落としてたな、みたいことに気づくこともあるし、説明のために資料を文章にしていると、自分の知識や情報がよりまとまってくるので、もう一度よく調べようと思える。原点に帰ることができるんです。」

森上さんがモザイク壁画と出会い、興味を深めるようになったのは、意外にもまだほんの3,4年前のこと。きっかけは、主婦ならではの何気ない出来事だった。

「台所で使うキッチンペーパーホルダーを手作りしたんです。材料がキットになっているもので、直径数センチの円形のベースに、説明書を見ながら小さなタイルを並べて目地を埋めるだけの簡単なもの。そんな小物を作っただけだったんですけど、出来上がったものを見て、きゃー、いいじゃん!って、なんだかすごく嬉しかったんですよ。」

そこで、「次はもっと大きくて難易度の高い作品を作ってみたくなって。ネットで探してみるものの、あまり良いものが見つからない。けれど、それがきっかけになって“タイル”だとか“モザイク”なんていうワードを毎日検索しているうちに、多治見の方にモザイクアートの教室があるとか、常滑にタイルの博物館があるということを知ったんです。」

気になる場所へは実際に出かけてみることも。やがて、タイル業界の専門誌があることを知り、すぐに定期購読を開始。さらに過去の記事も読んでみたいと、バックナンバーをすべて取り寄せてしまうほどのめり込んでいく。
「読んでいると、自分が知らないことがいろいろ出てくる。で、また検索してあれこれ調べて・・・そんな感じでどんどん深みにはまってしまうんです(笑)」

知りたいことを追求していくと奥が深過ぎてキリが無い、と笑う森上さんだが、知れば知るほどに惹き付けられる一番の理由についてうかがうと、
「やはり、そこに必ず“人”がいる、それに尽きますね。」

主婦である森上さんは、自らのことを「美術はおろか、壁画やタイルの専門家でもないし、ただ好きだという想いだけ。作品への強いこだわりがあるわけでもない。出来がいいかどうかの評価もできない。」と言うけれども、「知りたいという気持ちだけしかない。でも、会いたい人、お話をうかがいたいと思う人には、メールやお手紙などで、思い切ってアプローチするんです。」

かつて壁画づくりに関わった人たちが、逆にそんな森上さんに興味を示し、直接会って話を聞かせてくれたり、その後、森上さんのツアーにゲストとして参加してくださるなどの交流も生まれる。
「モザイク壁画がもっとも多く製作されたのは、矢橋さんたちが活躍された昭和40年代前後だと思うんですが、そこから40〜50年という時間を経た今だからこそ、私のようなものにも、当時を思い返しながら懐かしい気持ちでお話を聞かせてくださるのかもしれませんね。」

数十年前、壁画の製作現場では、画家をはじめ、タイル職人、画学生など、おそらく大勢の人たちが汗を流し、力を合わせ、大変な時間と労力をかけ作品づくりに情熱を注いだことだろう。だからこそ当時のことを知る人たちが語る、臨場感あふれるエピソードや作品づくりへの想いを聞くことは貴重で、作品そのものの魅力とともにまたほかの誰かに伝えたくなってしまうのだと森上さんは言う。

さらに、「作品づくりに携わった人たちの中にはすでにこの世にいない人もいます。作品自体もいつまであるかわからないものばかり。丸栄も、中日ビルも取り壊しが決まりましたよね。名残惜しいけれど、それも仕方が無いことなんですよ。建物と運命を共にしている限り、壁画はいつかは無くなる運命を秘めているんです。そんなに好きなら保存運動でもすればいいのに、なんて言ってくれる人もいるけど、私の想いは少し違うんですよね。建物とともに時を経たものだから、より魅力があるし、無くなる運命だからこそ価値があるように思うんです。」

ところで、順調に製作が進んでいた『なごやのたからもの』は、出版までの長い作業もようやく終盤を迎えて、いよいよ印刷という段に差しかかったころに、あの東日本大震災が起きた。
東北にある紙の工場から調達するはずだった印刷用紙の運搬が遅れ、発行は当初の予定より延期となってしまう。幸い一週間後には無事出版することができたが、ある日突然、大切なものを失ってしまうことの衝撃と儚さを、思いがけず身近に感じたこの出来事は、たとえいつかは無くなる運命であっても、いまそこにあること、あるものへの感謝、向き合い方をあらためて深く考えさせられる機会にもなった。この想いは、奇しくも本のコンセプトとも重なり、印象深い思い出となった。

「矢橋さんの作品集を何冊かネットや古本屋さんで集めました。とても古い本ですが、見ていると、名古屋にはまだまだ実物が数多く残っているので恵まれている方だと思います。関西地方にもいくつか作品があったようですけど、阪神大震災で壊れてしまったものも多いんですよ。」

森上さんがモザイク壁画の魅力に目覚めたばかりの頃、そこにあると思って出かけた目当ての壁画が、すでに無くなっていたことがあった。

「あのときは本当に残念で。だから、今あるものだけでもその価値を私が伝えていきたい。時代の流れの中で間もなく無くなる運命ならば、みんなで見てあげることで、壁画の最後の花道を飾ってあげたいんですよね。」

いつまでもそこにあるものではないということ、そして、実際に見られるうちに見ておきたかったという後悔の思いを、今も忘れることができない。

 

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谷 亜由子

WRITER PROFILE

谷 亜由子

放送作家として20年以上にわたり番組制作の現場で活動後、NPO「大ナゴヤ大学」の立ち上げに携わり企画メンバーとして活動。「SOCIAL TOWER PAPER」、「ぶらり港まち新聞」の企画・取材などを担当。地域活性プロジェクトなどの仕事では各地を旅しています。何かの奥に隠れているものを覗くのが好き。蓋のある箱の中身や閉ざされた扉の奥にある空間、カーテンの向こう側の景色が気になります。人の心の奥にある思いや言葉を引き出す取材、インタビューが好きなのもそれと同じなのかもしれません。