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名古屋を遊ぶ知のサロン、 やっとかめ文化祭に「ナゴヤ面影座」建立。(2016年10月)

TEXT : 神野 裕美

2017.10.29

変化と根源が同時に描かれた円空仏
円空仏の独創性、あの微笑みは、多くの人が知るところだろう。松岡氏は円空仏を見たとき、彫刻家のジャコメッティを思い出したという。自分の頭の中にある人間を彫り出したジャコメッティのように。いや、それ以上に、円空は頭の中にしかない仏達を、まるで眠っているものを起こすかのように木に彫り出している、と。そこには変化と根源が同時に描かれ、それこそが面影なのだ、と氏は論じる。

神仏は目に見えない。しかし、心の奥底に立ち顕れてくる。円空は見えてはいないが、そこにある本質を小さな木片にまで彫り続けたのだ、という松岡氏の言葉は、円空仏のえも言われぬ魅力を言い当て、失われた名古屋の面影を再生しようとするナゴヤ面影座の試みにも通じるように感じた。

 

面影は、伝播する
変化と根源、表と影。それが面影。私たちは表に見えている変化だけに目を奪われて、あまりに影に無頓着だったのかもしれない。失われた名古屋、この地のそこかしこに眠る面影を、いかに揺り起こすか。円空ならぬ私たちは、やっとかめ文化祭という装置を得て、少しずつだが面影が目覚める瞬間を楽しんでいる。

面影は、いつだって美しい。変化と根源の間で揺らぐそれは、存在はなくとも人の五感に確かに迫ってくる。だからこそ面影を語るとき、人は熱を帯びるのだろう。そして、面影を聴く者は、見たこともないナゴヤの風景を目に浮かべ、円空のノミの音を耳元に響かせ、懐かしみ、愛おしむのだ。面影は、伝播する。今回、座に参加した聴衆は、やがて自らが面影の語り部となり、この地の歴史文化を伝播する役割を果たすのではないだろうか。

今後も数ヶ月に1度のペースで開催されるというナゴヤ面影座は、やっとかめ文化祭にとって核となる存在。頂きが高いほど山の裾野が広がるように、来年5年目を迎えるやっとかめ文化祭は中心を持つことで、その活動の裾野はさらに大きく広がっていくはずだ。

写真:あいざわけいこ

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神野 裕美

WRITER PROFILE

神野 裕美

1998年よりフリーのコピーライターとして活動。2010年、クリエイティブディレクターとともに株式会社SOZOS(ソーゾーヅ)設立。新聞、ポスター、パンフレット、Webといった各種コミュニケーションツールの企画立案・制作、ロゴ制作、ネーミングなどを手掛けている。最近はまちづくり支援の仕事も多く、なごやのまちを盛り上げるべく、多角的な視点からなごやの魅力を再発掘中。インフォグラフィックでなごやめしの紹介も。
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